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【産経抄】2月2日
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江戸時代の「巡見使」は将軍の代替わりに幕府が各藩に派遣、地方の行政を査察していた。「水戸黄門」の原型のようなものだ。しかし、鳥取県の旧家で見つかった古文書に記録されていたのはおかしいような、哀しいような巡見使への対応ぶりだった。
▼不正でも見つかれば、藩の取りつぶしにもなりかねない。迎える藩や年貢取り立てに当たる大庄屋(村役人)にとってはかなりのプレッシャーだったようだ。鳥取藩でも智頭郡の大庄屋が、巡見使に聞かれたときの答え方などについて細かく藩に指示を求めている。
▼藩側は例えば「村に囚人がいるか」と聞かれれば「一人もいない」と答え、治安の良さを強調するよう命じている。巡見使への食事も規定では一汁一菜になっていたが、タイの刺し身などをつけるよう求めた。接待漬けで厳しい査察を逃れようとの意図がありありだ。
▼問題は年貢取り立てのさいの「升」だった。藩は幕府の統一基準より大きな升を使い、不正に多くの年貢を納めさせていたらしい。それだけにこれは文書に残すとまずいと思ったのか「別途、面談する」と答えている。口頭で口裏合わせをしたと考えられる。
▼結果がどうなったかは分からない。しかし恐らくそうした「事前調整」の成果でさほど厳しいことにはならなかったのだろう。何年か前、会計検査院の係官が地方で過剰な接待を受け問題となった。「官」が「官」をチェックすることの難しさは今も昔も同じのようだ。
▼江戸時代の庶民たちも、そんな査察の限界はとっくに分かっていたに違いない。だから天下の副将軍が身分を隠して全国を行脚、不正をあばく物語を生んだのだろう。現代人に「水戸黄門」人気が衰えないのも分かるような気がする。