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尼崎の「赤ひげ先生」一周忌、元患者らが27日に偲ぶ会
兵庫県尼崎市の国道43号沿線に野村医院を開業し、大気汚染公害に苦しむ住民らを半世紀にわたって診察してきた野村和夫医師が79歳で亡くなって24日に一周忌を迎える。ぜんそく患者らのために深夜、休日を問わず治療を受け付けたことから、山本周五郎の小説になぞらえ「尼の赤ひげ」と呼ばれて親しまれていた。患者らが27日、同市内のホテルでしのぶ会を開き、先生の死を悼む。
昨年1月24日に食道がんで亡くなった野村医師は松江市出身で、米子医専(現鳥取大)を卒業後、昭和29年に尼崎市内に野村医院を開業した。
医院があった同市南部地域は、高度成長期は工場からの煤煙(ばいえん)などで深刻な大気汚染が広がり、そのうえ国道43号、阪神高速神戸線の自動車排ガスが住民の健康に影響を及ぼしてきた。
野村医院にも40〜50年代、多いときで1日約400人の患者が詰めかけ、診療にあたった。ぜんそくの発作は前ぶれなく突然起きるため、患者が通院できるようにと夜遅くまで、土日も休みなく開業。亡くなる数年前に一線を退いた。
野村先生のもとで働いていた笠井裕美さん(41)は「患者から苦しいと電話があれば、深夜でもタクシーで患者の自宅まで駆けつけ、診療にあたっていた」と振り返る。
患者らが中心になって63年に起こした尼崎公害訴訟も全面的に支援した。原告らが平成10年11月、訴えた企業の前で座り込みをした際も、看護師とともにテントで仮診療所をつくり、患者の体調を気遣った。
訴訟は、12年末に和解が成立したが、提訴から和解までの間に原告140人が亡くなった。野村医師は「もう少し手だてがなかったか」と悔い、「公害はまだなくなっていない。原告の戦いはまだ続く。この仕事を全うしたい」と話していたという。
しのぶ会は27日、同市昭和通のホテルニューアルカイックで開かれ、患者らが集まって死を悼む。同公害訴訟原告団の松光子団長は「患者に優しく、愛された本当の赤ひげだった。『何でも言うてみい』と相談に乗ってくれ、亡くなる直前も『公害のない街にするまで死ねん』と話していた。先生の遺志を継ぎ、尼崎から早く公害をなくしたい」と話した。

