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【正論】第1回重光賞受賞の光栄に酔う 作家・深田祐介 (1/3ページ)
没後50年に理念と理想を銘記せよ
≪ご遺族の指名と聞いて≫
昨秋、上智大学名誉教授の渡部昇一氏から突然、お手紙をいただいた。
「実はこの度、元副総理で外相の重光葵(まもる)ご一家が、基金1億円を準備され、重光葵賞を制定された。選考委員は私、渡部昇一と岡崎久彦氏、工藤美代子氏、田久保忠衛氏の4名があたることになったが、第1回目は遺族側のご意向によってドナルド・キーン氏とあなた、深田祐介さんが受賞者と決まった。あなた、受けてくれますか」という内容であった。
昨年は重光葵氏の生誕120年、没後50年になる。重光氏は冷戦状態下にあり日本の加盟に反対するソ連の干渉を排し、国連加盟を成し遂げた。その国連加盟記念のスピーチでは「日本は今後、東西交流、相互理解の懸け橋にならん」とする熱意が示されている。
ご遺族一同の間で没後50年の機会に、このスピーチを基礎として「重光葵賞」制定が大きな具体的事業として浮かびあがり、初回の受賞者が指名されたというのである。
「特に私が指名された、というのはどういう理由ですか」
その後、私は直接渡部昇一氏に伺ったものである。氏は言下に「深田さんがその著作で、世界で初めて、大東亜会議と特に大東亜共同宣言を採り上げ、評価された。これはいずれも重光構想の核心をついた発言であって、日本の戦争をしてアジア解放の戦いたらしめんとした重光氏の思想に初めて脚光をあてたと言っていいのだ」。私は深く納得し、「光栄でございます」と答えた。
≪「大東亜会議」の熱い心≫
重光氏が成し遂げられた外交懸案はじつに多いが歴史に燦然(さんぜん)と輝くのは、日本のあの戦争にはっきりと理念を与え、そしてそれを実行されたことであろう。1943年11月、重光氏を強い推進者として、アジア諸国首脳を東京に集めて、アジア最初のサミット「大東亜会議」が開催された。そして「大東亜共同宣言」を採択した。

