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【街物語】(6)奈良・川西町「貝ボタン」〜移る景色、変わらぬ職人の心 (1/3ページ)
周囲を山に囲まれた奈良盆地のほぼ中心にある奈良県川西町。海から遠く離れた小さな街はかつて、磯の香りに包まれていた。未舗装の路地には、キラキラと光る巻き貝や二枚貝のかけら。「海のない街」が、高級シャツなどを飾る「貝ボタン」の製造とともに歩んできた証しでもあった。
ドイツ職人によって貝ボタンの製造が日本に伝えられたのは明治20年ごろ。川西町で生産が始まったのも明治38年ごろといわれる。
当初は大阪府内の工場の下請けとして、数軒が始めただけだった。当時の農閑期の副業だった大和木綿の賃機(ちんばた)に代わり、貝ボタンは原料が先貸されたことから普及した。
ピーク時の昭和20〜30年代。少年時代を過ごした貝ボタン製造「トモイ」の3代目、伴井比呂志(46)は「活気にあふれ、街全体が工場のようだった」と振り返る。約300軒がボタンの製造にかかわり、ファッション業界を支えてきた。
それぞれの家庭が自宅に作業場を造り、貝を丸くくり抜く「繰り場」、貝の内側に付いたあかを取り除く「塩取り」、ボタンの表面に型を付ける「ひき場」など、それぞれの工程に分かれて精を出した。道端に穴の開いた貝が落ちていたのも、ちょうどこのころだった。
その後、大量の“もの”が必要となった高度経済成長期に入ると安価なポリエステルボタンが出現し、貝ボタンはシェアを奪われ始める。資金力のない小さな業者は廃業を余儀なくされていった。
現在、同町内の貝ボタン業者は十数軒しかない。
トモイは大正3年に創業した。
この年に始まった第一次世界大戦による好況で、貝ボタンは真珠などとともに外貨を稼ぐ貴重な輸出品となった。
その後、盛衰を繰り返しながら、同社は国内シェアの7割を占める最大手メーカーにまで成長した。
「ここまで続けられたのはクオリティの高さ。先代の頑張りのおかげです」と比呂志は語る。

















