ニュース: 生活 RSS feed
【街物語】(3)白神山地に生きるマタギ「欲張らない」山の掟を教える (1/3ページ)
見習いの「目屋マタギ」として、工藤光治(65)が初めて白神山地のブナ林に入ったのは15歳のときだった。「父も兄もマタギ。反発する私を、無理やり山に向かわせた」
20歳になるまで自分の銃は持つことができず、収入もなし。懸命に年長者の背中を追いかけるうちに、いつしか体で「マタギ道」を覚えていた。
青森県西目屋村の「目屋マタギ」は、青森・秋田両県にまたがる13万ヘクタールの白神山地から生活の糧を得てきた。冬眠から覚めたばかりのクマを狙う春の狩猟をはじめ、炭焼き、山菜、キノコの採集。その存在は鎌倉時代にさかのぼるともいわれ、弘前藩の命を受け、国境警備に携わっていたとも伝えられる。
工藤の青年時代、クマ狩りの時期には統率者の「シカリ」を筆頭に、5、6人のマタギがそれぞれ計50キロにも及ぶ食糧や銃を背負って山に入った。そして2週間は村に戻らなかった。
山に入ったマタギたちは、クマが好むブナの実が豊かに育っている場所を探し歩く。クマを見つけると大声を出して山の上に追い込み、先回りした銃手が仕留める。「巻き狩り」と呼ばれるマタギ独特の手法だ。
「クマに熱い息がかかった」(弾が命中しなかった)、「風をかけられた」(逃げられた)…。日常生活から離れている緊張感を常に実感するため、目屋マタギたちは山で「マタギ言葉」を使った。必要以上の会話は禁じられ、里の言葉を使えば水をかけられたという。
このほかにも、獲物を得た後の「クマ送り」と呼ばれる祈りの儀式、女性には道具に触らせないことなど、目屋マタギたちには「山の神」信仰に根ざした独自の風習や掟(おきて)がある。こうした伝統やチームプレーの存在が、一般的なハンターとの間に一線を画した。そのことが彼らの誇りにもなっている。
「獲物は『授かる』もの。生きていくために命をいただくので、迷わず、苦しめることなく一思いに目的を達さなくてはいけない。『鬼の心に情けは無用。狩りのたびごとに鬼になるから、われわれは又鬼(マタギ)なのだ』と教えられてきた」














