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【街物語】(2)人をつなぐ郷土の鎖 「二十四の瞳」と小豆島 (3/4ページ)

2008.1.2 17:18
このニュースのトピックス街物語
香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)

 着物姿の壺井は引っ詰め髪にした自分の頭を指さし、「ここから出てきたのよ」とほほえんだ。さらに「照木君のところとは、一家(いつけ)(親類)なんで。知っとるか」。驚いて家に飛んで帰ると、父親は苦笑した。

 「イモのツルも引っ張ったら、いっぱい出てくるからな」

 壺井と手紙のやりとりが始まった。

 新しい本が出ると郵送してくれ、むさぼり読んでは「おもしろかった」などと感想を送った。

 「ていねいに『感想ありがとう』というはがきがきた。そういうのが2、3年続いたが、僕が気恥ずかしくなり、やめてしまったのよ」

 高校時代に修学旅行で上京したときには、銀座千疋屋でパフェをごちそうになった。食べ方が分からず、壺井の食べ方をまねした。壺井は「元気にしている?」と島の知人を気遣っていた。

 作品だけでなく、こうした人柄にひきつけられた。

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 島民による演劇を継続するため、有志たちで劇団を旗揚げした。

 平成17年にはNPO法人の認証を受けて「二十四の瞳を二十一世紀に伝える会」となり、照木は事務局長となった。これまでに小豆島や高松市、大阪府茨木市で計5回の公演を実現させてきた。出演者と裏方によるカーテンコールが恒例だ。

 「これだけの人たちで舞台を作ったんだと分かってもらうことが、とっても大事だと思うのね」

 幕が下りると、出演者たちはバタバタと走り出し、会場の出口付近に整列する。観客に「ありがとうございました」とお礼を言い、観客も見知った子供の出演者らに「あんた良かったで。偉かったな」とねぎらう。

 子供たちも評価されることで、自分のやったことを誇りに思える。

 茨木市の公演では、小豆島出身者たちがロビーのあちらこちらで集まり、即席の同窓会が始まった。「二十四の瞳には人と人をつなげる鎖のような役目を持っていることを感じた」という。

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NPO法人「二十四の瞳を二十一世紀に伝える会」の事務局長、照木秀公さん=香川県小豆島の苗羽小学校旧田浦分校
香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)
NPO法人「二十四の瞳を二十一世紀に伝える会」開催の朗読会に向けて、練習を重ねる島の人たち=12月13日、香川県小豆島
壺井栄
「二十四の瞳」に出てくる分教場のモデルとなった「苗羽小学校旧田浦分校」。昭和29年に小説が映画化された際にはここでロケが行われた=香川県小豆島
「二十四の瞳映画村」にある「岬の分教場」。苗羽小学校旧田浦分校が忠実に再現されている=香川県小豆島
「二十四の瞳映画村」では昭和初期の小豆島の町並みが再現されており、観光名所になっている。映画村内には壺井栄文学館があり、壺井が愛用した応接セット、万年筆など壺井ゆかりの品々が展示されている=香川県小豆島
大石先生と子供たちが楽しそうな表情を浮かべる「平和の群像」。小豆島の土庄港近くにあり、島を訪れた観光客は船を下りてすぐに「二十四の瞳」の世界にひきこまれる=香川県小豆島
昭和45年、壺井栄が幼いころに遊んでいた丘に建てられた壺井の文学碑。壺井が色紙に好んで書いた「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年」の文字が刻んである。18年で実がなる柚に、作家として遅咲きだった自分を重ねていたといわれている=香川県小豆島
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