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【街物語】(2)人をつなぐ郷土の鎖 「二十四の瞳」と小豆島 (2/4ページ)

2008.1.2 17:18
このニュースのトピックス街物語
香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)

 幕が上がると、出演者が出てくるたびに会場がどよめいた。

 「お客さんが『散髪屋のおばちゃんが出てきた』などと喜ぶ。生身の町の人が、役を演じている。その楽しさに歓声があがるのね」

 観客の雰囲気にも後押しされ、演劇は尻上がりに盛り上がった。出演者の熱演に泣き笑いし、「観客と出演者、裏方のみんなが100周年を心に刻みつけることができたんよ」

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 瀬戸内海からの潮風でカタカタと音を鳴らす窓、天井からぶら下がった裸電球。足を踏み出すたびにきしむ木製の床には児童用の木の机が並び、古いオルガンも置かれている。「二十四の瞳」に出てくる分教場のモデルとなった「苗羽小学校旧田浦分校」は、昭和46年に閉鎖されたが、「岬の分教場」として保存されている。

 29年に小説が映画化されたとき、分校でロケが行われ、照木もエキストラの子役として出演した。島は一躍有名になり、小豆島への観光客は48年のピーク時には約154万人に達した。

 62年にも再び映画が作られ、その際に使用されたセットが「二十四の瞳映画村」として観光名所になった。壺井は文字通り、小豆島にとって欠かせない存在となっていた。

 照木は小学6年生のとき、壺井と初めて会った。東京に移り住んでいた壺井を島に招き、小学校で座談会を開いたときだった。照木は手を挙げ、質問をぶつけた。

 「大石先生のモデルは誰ですか?」

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NPO法人「二十四の瞳を二十一世紀に伝える会」の事務局長、照木秀公さん=香川県小豆島の苗羽小学校旧田浦分校
香川県県民ホールで披露された演劇「二十四の瞳」。島の子供たちの素朴な演技が観客の心を打った=平成16年10月、高松市玉藻町(照木秀公さん提供)
NPO法人「二十四の瞳を二十一世紀に伝える会」開催の朗読会に向けて、練習を重ねる島の人たち=12月13日、香川県小豆島
壺井栄
「二十四の瞳」に出てくる分教場のモデルとなった「苗羽小学校旧田浦分校」。昭和29年に小説が映画化された際にはここでロケが行われた=香川県小豆島
「二十四の瞳映画村」にある「岬の分教場」。苗羽小学校旧田浦分校が忠実に再現されている=香川県小豆島
「二十四の瞳映画村」では昭和初期の小豆島の町並みが再現されており、観光名所になっている。映画村内には壺井栄文学館があり、壺井が愛用した応接セット、万年筆など壺井ゆかりの品々が展示されている=香川県小豆島
大石先生と子供たちが楽しそうな表情を浮かべる「平和の群像」。小豆島の土庄港近くにあり、島を訪れた観光客は船を下りてすぐに「二十四の瞳」の世界にひきこまれる=香川県小豆島
昭和45年、壺井栄が幼いころに遊んでいた丘に建てられた壺井の文学碑。壺井が色紙に好んで書いた「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年」の文字が刻んである。18年で実がなる柚に、作家として遅咲きだった自分を重ねていたといわれている=香川県小豆島
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