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【街物語】(1)「乙吉のだるま」 八雲が見つけた「日本」今も (2/3ページ)

2008.1.1 12:58
このニュースのトピックス街物語
乙吉の曾孫、山口吉紀さん。「八雲だるま」を胸に。目は「6代目乙吉」にあたる孫に入れさせるつもりだという乙吉の曾孫、山口吉紀さん。「八雲だるま」を胸に。目は「6代目乙吉」にあたる孫に入れさせるつもりだという

 言葉は少ないが、異人の八雲の身を案じたのだろう。11歳だった長男、梅吉に商売を任せ、乙吉は海に散歩に付き添った。八雲が散歩すると、近所の子供たちはぞろぞろと八雲の後をついてゆき、乙吉は「見せ物だにゃあよ」と戒めた。手が離せないときは、梅吉に「先生さまと一緒に行け」と伴をさせた。

 八雲を厳しく叱りつけたこともある。

 盆の精霊送りの夜、八雲は沖へ流れる数百の灯籠を追って1人で海に入り、灯籠を追って泳いだ。探し回った乙吉は、盆の海がいかに不吉であるかを説明し、こう怒ったのだ。

 「今夜は海は精霊様でいっぱいだにのぉ」

 「こんな晩に、なんぼ泳ぎが達者だからって、泳ぐもんじゃにゃあです」

 「河童(かっぱ)だって溺れ死にますでな」

 裏表がなく、実直そのものの乙吉を、八雲は「乙吉サーマ」と呼んだ。6歳年下の乙吉は「先生さま」と呼んだ。

 《乙吉様、神様のような仁です》

 八雲はここまで言い切っている。猜疑心(さいぎしん)の強かった八雲が、ここまで個人を賞賛したのは珍しい。

 今は東京で生活する山口吉紀は、乙吉の曾(ひ)孫である。

■■■

 八雲が焼津で発見した「小さな神」の1つがだるまだった。

 八雲はこう書き残している。

 

 《こういう面白い小さな神が、日本にはたくさんある。そして、こういうとぼけた神を拝む人々はほとんどが、こちらがいたく感動するほど正直であることを知った。素朴な神であるほど、それを崇める人は、それだけ正直である、と信じてよいであろう》

 《これだけは言っておきたい−−こうしたごく小さな神、おもちゃのような神々を信仰することは、素朴な心の持ち主でなければできないことで、こういう素朴な心は、邪悪なこの世にあっては、純な善良さに最も近いものである》(いずれも『乙吉のだるま』より)

 その素朴な、当時の焼津の人々について八雲がどう考えていたか、長男の一雄がこう書いている。

 《父は私に土地の赤銅色の子供達を決して侮辱してはならぬ。もし焼津の子等と喧嘩することがあれば、それは必ずお前のほうが悪いのだ。お前の心に邪な点があるからだ。焼津の子供はあるいは粗野かも知れぬが皆正直だ。決して嘘吐(つ)きや意地悪は居ないのだから、彼等には常に温情をもって臨めと厳しくいい渡されていました》(「父『八雲』を憶う」より)

 乙吉宅の棚に並ぶだるまが片目であるのを八雲は不審に思い、乙吉に尋ねた。

 「だるまさまの左の目は子供がつぶしたですか?」

 乙吉は「へえ」と例の調子で答え、もともと両目とも入っていないのだと説明した。

 「あたくしんとこで去年、右の目を入れましたんで。大漁のありました後で」

 「どうして両方の目を入れてあげませんか? 1つでは何だかかわいそうで」

 左目を失明していた八雲は、左目のないだるまを不憫(ふびん)に思い、こだわったのだろう。

 そんな思いを乙吉は察したらしい。「へえ」と笑い、優しく言った。

 「今度うちでも大吉がきたら、そんときにもう片っぽの目玉を入れてやります」

 このやりとりは『乙吉のだるま』に描かれている。

 その最後。

 焼津を去る早朝、八雲は例のだるまに左目も入っていることに気づくのだ。

 なぜその日、乙吉は両目を入れたのだろう。

 八雲の目をおもんばかったのか。支払われた宿泊費の多さを喜んだのだろうか。

 余韻を残しながら、『乙吉のだるま』は終わる。

 明治30〜37年に6度乙吉宅を訪れた八雲は、最後の訪問から30日後、狭心症で逝く。

 山口家は大正10年に乙吉が死去すると、長男の梅吉が2代目乙吉を襲名した。3代目とともに店を屈指の大手鰹節商に発展させる。

 だが、その後、倒産した。

 焼津に乙吉の家はもうない。

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乙吉の曾孫、山口吉紀さん。「八雲だるま」を胸に。目は「6代目乙吉」にあたる孫に入れさせるつもりだという
小泉八雲は焼津を愛し、最後の訪問時に乙吉に「別荘がほしいので土地を探してください」と頼んで東京に戻った。狭心症が襲い、逝ったのはその30日後のことだった
山口乙吉。八雲の長男、一雄によれば「何か問われると『ヘヘーイ!』と愉快な声で答える人でした。貴賎貧富老若男女の別なく誰にでも正直と誠意をもって、『ヘヘーイ!』と接してゆく一本調子の好々爺でした」という
2代目乙吉を襲名した長男、梅吉。父の乙吉が八雲に付き切りになると、梅吉が天秤棒を担いで魚を売り歩いた。商才が豊かで、3代目とともに店を屈指の鰹節商に育て上げた
3代目乙吉。吉紀さんの父。相場観が鋭く、貿易知識が豊富で新進性に富む経営者だった。吉紀さんが友人を連れてくると、都都逸を披露するような一面もあった
4代目乙吉にあたる吉紀さん。最近になって、なぜかだるまに愛着を感じるという
博物館「明治村」に移築された乙吉の家。八雲は2階に逗留した。堤防で海は見えなかったというが、富士山は仰ぎ見れたようだ=愛知県犬山市
乙吉の家の中。当時の家具が置かれ、ちゃんと「だるま」も鎮座している=愛知県犬山市の明治村
乙吉の家があった場所には、「八雲滞在の家」を示す記念碑がたてられている=静岡県焼津市
乙吉の家に最も近く、八雲がよく来たであろう城之腰海岸。富士山が望める。八雲も同じ富士山を見たことだろう=静岡県焼津市
乙吉宅から近い城之腰海岸で望める富士山。八雲はこの海にあおむけでぷかりと浮かび、地元の人々は「異人泳ぎ」と言っておもしろがったという=静岡県焼津市
乙吉の家があった通りは「八雲通り」と呼ばれている。往年の名残はないが…=静岡県焼津市
荒波に洗われ続けて首が欠け、石が乗せられていた波除け地蔵。八雲はこの地蔵様に心を痛め、「あまりに無残である。一雄(長男)の名で新しい地蔵様をつくろう」と石屋に依頼したが、夫人から「縁起が悪い」と反対され、断念。地蔵様はその後首をセメントでつなぎ、「八雲地蔵」と呼ばれて守られてきたが、傷みが激しくなったため、地元の寺に移された=静岡県焼津市の光心寺
「八雲地蔵」には今も供え物が絶えない=静岡県焼津市の光心寺
「今焼津ノ石屋ガ地蔵ノ相ヲカイテ私ニ見セテ居マス」(明治34年7月12日、八雲がセツ夫人にあてた手紙の一節)。首がとれた地蔵様を哀れみ、八雲は手紙に地蔵様が泣いている絵を描いた
乙吉の菩提寺で、「八雲地蔵」がまつられている光心寺=静岡県焼津市
焼津の波除け地蔵。海岸の町、焼津では高波を恐れ、至るところに波除け地蔵をたてては平穏な暮らしを願った
焼津の波除け地蔵。こうした“神々”に八雲は焼津の人たちの心の素朴さを感じた
当目の海岸。手前に小さな浜があり、八雲はここへも泳ぎにきた。途中、鰻専門の小料理屋があり、乙吉の案内でときどき立ち寄ったという=静岡県焼津市
虚空蔵尊が安置されている安徳院。毎年2月23日の縁日には「虚空蔵尊のだるま市」が開かれ、家内安全や商売繁盛を願う人々でにぎわう。売られるのは八雲が乙吉宅で見た「藤枝だるま」だ。乙吉もこのだるま市でだるまを買ってきたとみられている=静岡県焼津市
八雲が愛した焼津には、今もこんなのどかな光景が残る
JR焼津駅前には八雲の記念碑が建立されている。八雲の横顔を彫ったブロンズのレリーフと、「焼津にて」の一節を刻んだ黒御影石がはめこまれている=静岡県焼津市
八雲記念碑に刻まれた「焼津にて」の一節=静岡県焼津市
「贈従四位小泉八雲先生風詠の地」と刻まれた碑。大正14年、当時の焼津青年団が大正天皇の銀婚式を記念し、建立した。焼津にはこうした八雲をめぐる碑が数多く残っている=静岡県焼津市
6月にオープンしたばかりの焼津小泉八雲記念館=静岡県焼津市
焼津小泉八雲記念館の館内の様子
焼津小泉八雲記念館には数多くの貴重な写真、資料が展示されている
焼津小泉八雲記念館には数多くの貴重な写真、資料が展示されている
焼津小泉八雲記念館には数多くの貴重な写真、資料が展示されている
焼津小泉八雲記念館には数多くの貴重な写真、資料が展示されている。「八雲だるま」こと「藤枝だるま」も鎮座
焼津小泉八雲記念館に展示されている「八雲だるま」こと「藤枝だるま」。頬のひげが「8の字」になっているのが藤枝だるまの特徴だ。年季が入っているこのだるまは、山口家にあった古いもの。八雲が目にしたものかもしれない
八雲が乙吉宅から遠くの「和田の浜」に行く際、途中で立ち寄った茶店「小川(こがわ)屋」は、今も店の形を変えて続いている。長男の一雄が小川屋のラムネが大好きで、八雲はよく「一雄、焼津で喜ぶものは、小舟、玉ころがし、和田のラムネ」と言ったという=静岡県焼津市
「八雲だるま」「乙吉だるま」と親しまれる「藤枝だるま」。頬の8の字のひげが特徴だ=静岡県藤枝市の「藤枝だるま」
焼津の虚空蔵尊をはじめ各地の縁日に出荷される藤枝だるまは、すべて5代目主人の長橋秀明さんの手作り=静岡県藤枝市の藤枝だるま
長橋さんが年間につくる「八雲だるま」はざっと1万個という=静岡県藤枝市の藤枝だるま
「藤枝だるま」は江戸時代から続く老舗だ
顔を塗られる前の真っ赤な「八雲だるま」たち=静岡県藤枝市の藤枝だるま
だるまの木形。中央の白っぽい三角に近い形のだるまが、八雲が乙吉宅で見たものだという=静岡県藤枝市の藤枝だるま
「藤枝だるま」店内には八雲の写真も
2代目乙吉(梅吉)が、食べ物をあげていた物乞いが僧になった後にお礼としてもらった手彫りの大黒様
大黒様の後ろには、丁寧なお礼が書かれている。人に優しい「乙吉の血」を感じさせる
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