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【産経抄】12月31日
このニュースのトピックス:年末・年始
今年2月に世を去った哲学者の池田晶子さんは、小学校以来、年賀状を書いたことがなかったそうだ。そもそも年賀状で「今年の目標」なんて、宣言するのはおかしい、と池田さんはいう。
▼私たちは、今もしくは今日を生きているのであって、「今年」なんて、観念のなかにしか存在しない。だから三が日が過ぎて、日常の生活が再開されると、「今年の目標」は見事に忘れられていくのだ、と(『暮らしの哲学』毎日新聞社)。
▼かと思えば、多忙をきわめても、年賀状には手を抜かないという人がいる。池波正太郎さんはその最たる人だった。自分で描いた干支(えと)の絵を印刷したはがきを、前年の春から用意していたという。千枚を超える賀状の一枚一枚にあて名を書いていくと、年末になってからでは、とても間に合わないからだ。
▼池田さんの潔さ、池波さんの律義さ、どちらに対しても、凡人はため息をつくばかりだ。毎年12月に入ると、虚礼廃止の大義名分と浮世の義理がせめぎ合いを始める。それを理由についつい雑事を優先させて、揚げ句の果てに、住所録をひっぱりだすのは大晦日(みそか)。これが小欄の年越しの習いである。「大晦日分別ばかり残りけり」(許六)。
▼正月の形骸(けいがい)化が指摘されて久しい。都市住民にとっては、来るべき年の豊穣(ほうじょう)を願う儀礼ではなく、数え年齢がすたれたことで、歳(とし)取りの区切りでもなくなった。それでも人は、元旦を迎えると、生まれ変わったような気分になる。
▼池田さんがいうように、多分三日坊主になってしまう「今年の目標」を立てる。それでいいのではないか、という気もする。たとえ“再生ごっこ”にすぎなくても、日本人にとって大事な時間だ。読者のみなさん、よい年をお迎えください。