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【TOKYOの時代】(3)山谷 “下町の六本木”へ 日雇い労働者の街から脱皮? (1/4ページ)
このニュースのトピックス:TOKYOの時代
南千住駅から南側へ徒歩5分ほどで漫画『あしたのジョー』の舞台にもなった泪橋交差点に差し掛かる。この一帯は山谷(さんや)と呼ばれる。高度成長期からバブル崩壊までの間、日雇い労働者が全国から集まる活気あふれる街だった。
かつては毎朝、日雇い仕事を求める労働者が車道にはみ出すほどあふれていたが、長引く不況と高齢化のためその数を急速に減少させていった。
入れ替わるように目につくようになったのが、外国人バックパッカーや出張のサラリーマン。かつて日雇い労働者向けに営業していた簡易宿泊所の新たな宿泊客となっている。
山谷の簡易宿泊所160軒が加盟する城北旅館組合の広報担当副組合長・帰山哲男さん(56)は「バブル崩壊後に日雇い労働者の宿泊が減少した。危機感を抱いた先進的な経営者は2000年前後から一般客を呼び込もうとホームページをつくってアピールした」という。1泊の宿泊料はベッドだけの相部屋で800円から。1番高い部屋でも3500円ほどという東京の他のエリアのビジネスホテルより格段の安さとなっている。しかし当初はキャンセルされることも珍しくなかった。
「せっかく予約をしてもらえても、山谷と分かるといまだに危険な街というイメージがあるためか敬遠された」。帰山さんは苦い思い出を語る。
タブー視されていた山谷が急激に注目されるようになったのは、一般客を呼び込む努力が定着し始めた2002年のことだった。サッカーW杯日韓大会の観戦のために外国人サポーターが大挙して宿泊した。このときの様子がさまざまなメディアで取り上げられ、山谷の変貌(へんぼう)ぶりが全国に知れ渡った。


