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【話の肖像画】50年後の「黒部の太陽」(4)裕次郎のモデル 笹島信義さん
■ロケで九死に一生の裕ちゃん
≪黒部ダムの破砕帯突破の辛苦を描いた映画『黒部の太陽』は三船敏郎、石原裕次郎の2大スターが主演して昭和43年に公開。観客動員734万人、興行収入16億円(現在の80億円相当)と邦画で同年の最大ヒット作となった≫
−−製作に参加した
笹島 ロケには作業員を10人ほど連れて2カ月間、立ち会いました。掘っている後ろ姿は作業員だし、映画で鏡割りをしているのは私です。
≪ロケ地は熊谷組豊川工場(愛知県)。長さ230メートルの地上トンネルが造られ、破砕帯の出水シーンでは3000世帯の団地の貯水タンクに相当する420トンの水を貯蔵タンクから流した≫
−−事故が起きた
笹島 岩盤のコンクリートが固まりすぎて、水が一気に流れてしまった。私は監督とジャンボ掘削機の上に乗っていましたが、三船さんはとっさに機械につかまり、足をバタバタさせていた。裕ちゃんはまともに水をかぶって流された。助けようと飛び込んだが、僕も数秒で80メートルほど流された。
≪石原裕次郎は自著『口伝 我が人生の辞』で、「僕は一度、死んでいる」と、このシーンを回想している。気を失って病院に運ばれ、親指を骨折、大腿(だいたい)部に傷跡が残る打撲を負った。ちょうど五社協定で映画界からホサれていたときで、一番思い出に残る映画として挙げている≫
−−撮影合間のスターは
笹島 三船さん、裕ちゃんたちとは一緒に晩飯食ってました。三船さんは僕より1つ後輩だけど、戦争経験あるし苦労人ですよ。裕ちゃんは酔っ払っても陽気だけど、三船さんはだんだん目が据わって、「おい、裕次郎」って絡むから、裕ちゃんは逃げてた。僕は客分(客の扱い)だから絡まれなかったよ。
−−映画化には反対だった
笹島 個人的に最初は大反対。ひどい現場と紹介されると、作業員が来なくなるのが心配で。しかし、逆に映画を見て仕事に来る人が増えましたけどね。
≪昭和13年に応召され、北京郊外での戦闘で銃弾が首を貫通。翌年帰郷。熊谷組関係者に頼まれ、在郷軍人仲間を集めたことがきっかけで建設業界入りし頭角を現した≫
−−人集めのこつは?
笹島 田舎にいて(性格は)ざっくばらんだし、偉い人にお世辞をいうわけでもない。後輩もわけへだてはしないさ。
≪笹島班では作業員本人に給料の10%しか渡さず、残りは家族に送金した。作業員は現場での唯一の楽しみ、ばくちで給料を失うこともない。結果、家族からも信頼され、人材を集めた≫(高見修次)
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【プロフィル】笹島信義
ささじま・のぶよし 大正6年、富山出身、90歳。熊谷組の下請けとして黒部ダムのトンネル工事を担当。映画「黒部の太陽」で石原裕次郎が演じる黒部ダムの破砕帯克服の現場責任者。現在、笹島建設会長。

