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【話の肖像画】50年後の「黒部の太陽」(2)裕次郎のモデル 笹島信義さん
■1カ月半で170センチの前進
≪順調に進んでいたトンネル掘削のペースがパタッと止まった。恐怖の破砕帯から湧水(ゆうすい)が続き、ダイナマイトで掘り進むことができない。それでも前進した。だが、昭和32年5月1日から1カ月半で、わずか170センチしか進めなかった≫
−−坑内に500、600人、一番奥の切り羽(掘削する断面)には40、50人の作業員
笹島 それまでは1日8時間の3交代。だが、1時間3交代、20分働いて40分休むという異例のシフトを敷きました。湧水の温度は夏でも4、5度と冷蔵庫と変わらない。体が冷え切って作業ができなかったから。
−−崩落の危険も
笹島 何より怖いのは作業員が生き埋めになること。かつての日本ではいくらでもありましたから。水の音があまりに大きいので話し声が聞こえない。だからヘルメットの左右に付けた笛で危険を知らせる。笛の音がしたら、みな大急ぎで退避するのです。
−−進んでないのに等しい
笹島 今で言う鬱(うつ)みたいになって。山がつぶれて、作業員が生き埋めになる夢を見るんです。伸びた髪の毛が邪魔で坑内を出て切ったらバサッバサッと髪が落ちてきた。一番体力があった自分が円形脱毛だなんて、後にも先にも初めてでした。
≪8月、関西電力の太田垣士郎社長が現場視察に訪れた。ヘルメットをかぶり中に入ろうとする。幹部があわてる。「社長さん、無理です、危険です」≫
−−それでも社長は
笹島 「何言ってるんだ、作業員は仕事しているじゃないか。案内しろ」と。えらいことになった。機械があるためやっと1人通れる程度。こっちは朝から晩まで逃げ場のことを考えてるから、社長がいて作業員が逃げ遅れたら困る。
−−しかし中に入った
笹島 社長を案内した5分が、ものすごく長く感じられた。国会でも関電の見通しが悪かったと指摘され、ルート変更も浮上していたころ。最終的には自分で見て判断しようとしたのでは。僕だって命がけで立っている。と、「どうだ、キミ、掘れるかね」と。こっちはヤケクソで「何とかなるでしょう」と答えてしまった。
≪その後、ルートは変更ないとの決定が下された。ただ、黒部の厳しい状況は全国にニュースで流れていた≫
−−作業員の家族が騒いだ
笹島 そりゃ、あんなところで働かせられないと思うでしょう。でも帰ってこないものだから、お盆前には「チチキトク スグカエレ」などの電報がドッときました(笑い)。(高見修次)
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【プロフィル】笹島信義
ささじま・のぶよし 大正6年、富山出身、90歳。熊谷組の下請けとして黒部ダムのトンネル工事を担当。映画「黒部の太陽」で石原裕次郎が演じる黒部ダムの破砕帯克服の現場責任者。現在、笹島建設会長。