ライフ【転機 話しましょう】(85)放送プロデューサー、デーブ・スペクターさん お節介が周囲を明るくする 滞在予定2週間が…外タレブームで資質開花+(1/4ページ)(2012.11.17 07:00

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【転機 話しましょう】
(85)放送プロデューサー、デーブ・スペクターさん お節介が周囲を明るくする 滞在予定2週間が…外タレブームで資質開花

2012.11.17 07:00 (1/4ページ)転機 話しましょう
15台のテレビモニターの前で、「『笑っていいとも!』の出演が人生の転機になった」と語るデーブ・スペクターさん=東京都千代田区紀尾井町のスペクター・コミュニケーションズ東京オフィス(瀧誠四郎撮影)

15台のテレビモニターの前で、「『笑っていいとも!』の出演が人生の転機になった」と語るデーブ・スペクターさん=東京都千代田区紀尾井町のスペクター・コミュニケーションズ東京オフィス(瀧誠四郎撮影)

 放送プロデューサーのデーブ・スペクターさんは昨年の東日本大震災で、短文投稿サイト・ツイッターで心温まるギャグを連発し、日本人の心に笑いを呼び起こしました。“日本人より日本をよく知る”シカゴ出身の米国人。そんなデーブ流の「お節介(せっかい)」な姿勢が、周囲を常に明るくしています。(村島有紀)

テレビ出演で人気に

 「3年ぐらいで帰る予定が、テレビに出るようになって日本での仕事がだんだん面白くなって」

 米ABC放送に勤務していたスペクターさんは昭和58(1983)年、ドキュメンタリー番組の製作のため、3度目の来日を果たす。当初は2週間の予定だった。しかし、日本のテレビ番組の買い付けも命じられ、長期滞在を始めた。

 日本語が流暢(りゅうちょう)な外国人がまだ珍しい時代。「第一次外国人タレントブーム」で、米国出身のケント・デリカットさんや、アフリカのギニア共和国出身のオスマン・サンコンさんらが活躍していた。スペクターさんも、バラエティー番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系)へ出演。毒舌やジョーク、豊富な知識が重宝され、ワイドショーや討論番組、CMへの出演に加え、コラムの執筆、放送作家へと活躍の場を広げていった。

震災後の日本励ます

 

 米国でも日本の経済成長や文化に大きな関心が集まっていた。日本滞在中にABCを辞め、63年には国内外の映像の買い付け販売などを行うスペクター・コミュニケーションズを設立。妻、京子さんと二人三脚で事業を軌道に乗せた。

 現在の姿からは想像しがたいが、幼い頃は本が好きな物静かな少年。初めて日本語と出合ったのは小学生の時だ。日本人の転校生に、ガイドブックで覚えた「郵便局はどこですか」と日本語で話しかけた。

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昭和58年、ABC放送の出張で来日したころ。東京都内の赤坂プリンスホテル(当時)を拠点にしていた(デーブ・スペクターさん提供)

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