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【鉄道ファン必見】0系の陰で…「951形新幹線」物語 (1/4ページ)
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東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所正門前に建つ市複合施設の横にある「951形新幹線」。引退間近で話題を集める初代0系がデビューした5年後に製造された試験用車両だ。昭和47年に当時最高の「時速286キロ」を記録しながら、大きな脚光を浴びることなく短い期間で姿を消していった。0系が華々しく最後の花道を飾る中、951形の隠れたエピソードや功績を鉄道総研元専務理事の田中真一さん(75)に尋ねた。
「286キロ」の最高速度を記録
昭和47年2月24日、開業前の山陽新幹線姫路−西明石間を使った試験走行で、951形が「時速286キロ」を記録した。
「あと10キロ…」「ここは抑えて…」。台車部門の主任研究員を務めていた田中さんが測定データを見ながら細かい指示を送る。この区間を使った約1カ月にわたる試験で、車両と線路条件との関係を把握し、ピンポイントでじわりじわりと速度を上げていった。
951形は昭和44年に誕生した。山陽新幹線の延伸に合わせ、時速250キロでの営業運転を目指して製造された。先端ノーズが長いことを除けば、見た目は0系とほとんど変わらないが、車体はアルミ合金製ボディーマウント構造、台車も渦電流ブレーキ(ECB)付き軸バリ式の「DT9010」を取り入れるなど大幅に変更されていた。
2両編成で座席はほとんどなく、所狭しと計器類が並んでいた。幅広い分野の研究員が乗り込み、「変なデータが出ると『車両が悪い』『線路が悪い』と試験車の中で喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を繰り広げた」という。
田中さんは昭和31年に国鉄入社。現場研修を経て34年3月に鉄道総研の前身・鉄道技術研究所へ。0系では航空技術者だった三木忠直氏と風洞試験などに取り組み、あの団子っ鼻の先頭形状を生み出した。
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