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【街物語】(22)1000年前の縁に誇り 「土佐日記」と紀貫之 (2/4ページ)
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そんな辺境の地に延長8(930)年、国司として赴任したのが貫之だった。貫之はその25年前、初の勅撰和歌集「古今和歌集」を編纂(へんさん)。小倉百人一首にも「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の歌が収録されている。当時の貴族の教養をはかる歌の読み手としては“超一流”の人物だった。
土佐での任務を4年勤め上げた貫之が、帰京するまでの55日間の船旅をつづったのが土佐日記。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の書き出しで始まるように、女性に仮託している点が大きな特徴だ。
《今し、羽根といふ所に来ぬ。(略)ありける女童なむ、この歌を詠める。まことにて名に聞く所羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな》
帰京の念を募らせる場面のほか、在任中に亡くしたまな娘を思いやる場面が描かれ、帰京して目にした自宅の荒涼たるありさまに絶望して日記は幕を閉じる。
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「1000年以上も前の最も有名な日記文学の中に、当時の土佐の風土記を残し、国中に紹介してくれた。その土地の者としては、自然に敬慕の気持ちがわくわねえ」
国司館跡の「土佐のまほろばここに都ありき」と書かれた石碑の前でたたずみ、目を細める竹内夫妻。確かに、貫之は日記の中で土佐の風土や土佐人の気質をたくさんつづっている。
《(別れの宴席で)ありとある上下、童まで酔ひ痴れて、一文字をだに知らぬもの、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ》
《(貫之の一行を追いかけてせんべつを持ってきた人が)行く先に立つ白波の声よりも遅れて泣かむ我や勝らむとぞ詠める。いと大声なるべし》













