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【街物語】(22)1000年前の縁に誇り 「土佐日記」と紀貫之 (1/4ページ)

2008.5.11 10:09
このニュースのトピックス街物語
土佐の風土記を残した紀貫之。竹内夫妻は「自然に敬慕の気持ちがわく」と話す=高知県南国市の国司館跡土佐の風土記を残した紀貫之。竹内夫妻は「自然に敬慕の気持ちがわく」と話す=高知県南国市の国司館跡

 古くから信仰の山として知られる滋賀県大津市の比叡山。眼下には琵琶湖の雄姿が広がる。

 ある春の日、標高約600メートルの山道を歩く30人ほどの一行があった。たどりついたのは小さな古い墓石。眠っているのは平安時代の歌人、紀貫之(868年ごろ〜945年ごろ)だ。

 一行は周りの枯れ草や落ち葉を取り払い、地酒や新米などを供え、線香を手向けた。

 「土佐の国府よりお参りさせてもらいます。比江(ひえ)の供物を運ばせてもらいました」

 彼らは貫之が国司として在任していた四国の高知県南国市からはるばるやってきた「国府史跡保存会」メンバーたち。山の静けさに僧侶の読経が染みこんでいく中、元会長の竹内隆造(73)と妻の紀子(としこ)(70)は、そっと手を合わせた。

 一行の中には南国、大津両市幹部の姿もあった。市の幹部が総出で1000年以上も前の人物の墓参りをするようなところはないだろう。

   ■ ■ ■

 高知市は1000年前は海の底だった。県庁にあたる国府は、そこから東に位置する現在の南国市の比江地区に8世紀初頭から置かれていた。

 京の都からほど遠い土佐の国は「都狭」とも「遠佐」ともいわれ、律令制に定めた流罪の中で最も罪深い者が受ける「遠流(おんる)」の土地の一つだった。

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土佐の風土記を残した紀貫之。竹内夫妻は「自然に敬慕の気持ちがわく」と話す=高知県南国市の国司館跡
土佐日記にも出てくる歌を刻んだ歌碑=高知県南国市比江
高浜虚子の歌碑=高知県南国市比江
田畑の中にたたずむ国庁跡を示す看板=高知県南国市
田畑の中にたたずむ国庁跡を示す看板
紀貫之と深い関わりのあった国分寺。一説では、紀貫之の死んだ娘が埋葬されているという=高知県南国市
国府史跡保存会の竹内夫妻=高知県南国市の国司館跡
奈半の泊があったことを示す碑=高知県奈半利町
奈半の泊があったことを示す碑=高知県奈半利町
羽根岬の看板=高知県室戸市羽根町
紀貫之一行がこの羽根岬沖を通るとき、女の子が「まことにて名に聞く所羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな(本当にその名の通り羽根という場所ならば飛ぶように都へ帰りたいよ)」と詠み、一同しんみり=高知県室戸市羽根町
紀貫之一行がこの羽根岬沖を通るとき、女の子が「まことにて名に聞く所羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな(本当にその名の通り羽根という場所ならば飛ぶように都へ帰りたいよ)」と詠み、一同しんみり。その歌が書かれた歌碑=高知県室戸市羽根町
羽根岬から望む土佐湾。紀貫之の時代と変わらぬ海の青と空の青=高知県室戸市羽根町

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