ニュース: 生活 RSS feed
【明日へのセーフティーネット】現場はいま(3)北九州方式(下) (1/2ページ)
非は非と認める姿勢必要
「今でも目を閉じると、交渉という名の団体による集団陳情、事務所のカウンター越しに大声をあげてのやりとり、けが人や病人まで出る激しい抗議攻勢、いつ終わるとも知れない話し合い。現在の情勢からは考えられない状態だった。悪夢とさえ思われる混乱の時代だった…」
北九州市保護課の監修で平成8年に発行された『軌跡−北九州市・生活保護の三十年』は、全国社会福祉大会で厚生大臣表彰を受けた福祉一筋21年の課長の回想がプロローグになっている。
産炭地の筑豊地区を背後に抱えた北九州市は、昭和38年、5市合併で誕生した。石炭産業の斜陽化や集団陳情の激化、合併でバラバラだった福祉事務所運営などを背景に、昭和42年には、過去最高で全国最高の69・1パーミルの保護率(1000人中の生活保護受給者数)を記録した。
市はケースワーカーを増強、福祉事務所の指導監査にあたる指導課を新設し、厚生省から初代指導課長が就任した。以後、同省による「適正化直轄指導体制」が続くことになる。
いったんは減少した北九州市の生活保護率だが、オイルショックなどもあって再び上昇、昭和54年、再度、全国最高の46・67パーミルを記録した。2度目の「適正化」のキーワードは、暴力団と不正受給だった。これには新聞社も大々的にキャンペーンを組んだ。「市民が当たり前と思うことを当たり前にやるのが適正化」。当時の幹部はそう振り返っている。
平成12年からは全国に先駆けて自立支援プログラムを導入して取り組んできた。団体や組織対策ではなく、地域で孤立化し、高齢化しつつある個人の自立援助策だ。「福祉事務所から働きかけないことには、もらえるものはもらってしまおうということになってしまう。われわれにできるのは受給者のやる気を引き出し、あと一押しすること。生活保護から自立させようとすることはそんなに悪いことなんでしょうか」と市幹部はいう。