MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【街物語】(14)古都に残った木版画の匠 (1/3ページ)

2008.3.9 08:50
このニュースのトピックス街物語
木版画家の井堂雅夫さん=1月24日午後、京都市北区(撮影・柿平博文)木版画家の井堂雅夫さん=1月24日午後、京都市北区(撮影・柿平博文)

 金閣寺から竜安寺に抜ける観光道路「きぬかけの道」を歩くと、ほどなく小さなギャラリーにたどり着いた。扉をくぐると、壁に掛けられた色鮮やかな木版画の数々が視界に飛び込んでくる。

 海外からの観光客もよく立ち寄るらしい。ノルウェーから来た若い女性2人が、作品とじっとにらめっこしたあと、意志が通じたかのように小さくうなずいた。「グラフィック」。生き生きしている、という意味なのか。ギャラリーの隅にいた作者を見つけ、とびきりの笑顔で記念写真をせがんだ。

 井堂雅夫(62)は、白髪をかき上げながら、ちょっぴり照れくさそうに写真に納まった。木版画ギャラリー「雅堂」の経営者で、京都では数少なくなった木版画の作り手である。

 中国から伝わったとされる木版画。下絵を描く絵師、彫刻刀で版木を削る彫師、色を仕上げる摺師。おのおのの巧が結集して、ひとつの作品ができあがる。井堂は絵師のひとりだ。

 江戸時代には歌川広重ら後世に名を残す浮世絵版画師が現れ、大量生産できる手軽さから庶民の間に広く流通した。

 「芸術作品だけじゃない。ふすまや扇子の絵柄…、江戸時代は人々の生活の中に、当たり前のように木版画が生きていたんや」

 京都にもかつて、50人を超える職人たちがいた。だが戦後、印刷技術の発達とともに、手間とコストのかさむ木版画は廃れていく。食えない稼業には後継者は集まらず、作り手は高齢化していった。

■■■

 京都に働きに出たのは15歳の秋のことだ。時代は高度成長期。中学生が貴重な労働力として、「金の卵」ともてはやされた。絵を描くことが誰よりも好きだった井堂は故郷の盛岡から、染め物職人に弟子入りした。

 23歳のとき、知り合いの画商に連れられ、初めて木版画の制作の過程を目の当たりにし、職人たちの技術にほれ込んだ。

 「何がどうとかの理屈じゃない。直感が働いた。とにかく絵が好きやったし、打ち込むべきはこれなんや、とね」。恋人に出合ったような思いで木版画の勉強を始めたが、木版画はすでに時代から取り残されつつあった。

これまでの【街物語】はこちら

このニュースの写真

木版画家の井堂雅夫さん=1月24日午後、京都市北区(撮影・柿平博文)
平成版浮世絵「京都百景」の作品「清水寺」
平成版浮世絵「京都百景」の作品「勧修寺」
平成版浮世絵「京都百景」の作品「金閣寺」
木版画家の井堂雅夫さん=1月24日、京都市北区(撮影・柿平博文)
平成版浮世絵「京都百景」の作品「天橋立」
平成版浮世絵「京都百景」の作品「光悦寺」
平成版浮世絵「京都百景」の作品「龍安寺」
PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。