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【大阪 食の誘惑】「脇役に徹し」料亭の女将 (2/2ページ)
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「花外楼」は昭和39年に現在のビルに建て替えられた。内部は数寄屋造りで大広間や個室が配され、ロビーには大川を望む一面のガラス窓。その斬新さは、いまも色あせていない。
徳光さんは「ここに、北浜という地で天保から明治維新、大正、昭和、平成と続く170年の間に蓄積されたすべてがある」と言いながら、「暖簾(のれん)に必要なのは革新」と前を向く。
「花外楼」が店を構える北浜は船場に近いこともあり、地元の商家には商用だけでなく、家族の特別な日にハレの場として利用されてきた。「父には、お客さまを家にお招きするようなおもてなしを、と教えられてきた」という徳光さんは、伝統を守りながらも現在のライフスタイルにあった「集いの場」として、これからの料亭のあり方を模索する。
大阪の商人をはじめ地域の暮らしと深く結びついた料亭は、客がホストとなり店と一体になって他の客をもてなすという独自のスタイルを作り上げ、大阪の魅力である大衆的な食の対極にあるハレの食をはぐくんできた。これもまた大阪の食の魅力である。(なにわ食彩研究会)
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【花外楼】 創業は天保年間。明治8年、大久保利通・木戸孝允・板垣退助・伊藤博文らが大阪の同店に集まり、維新後の立憲政体の樹立を約した「大阪会議」が開かれた。この会議の成功を祝って、木戸孝允より贈られた屋号が「花外楼」。仲たがいしていた維新の志士たちの和議が成立した縁起を担ぎ、会社の発足や統合・合併、お見合いや結婚披露宴など祝い事の席に利用されることが多い。徳光正子さんは創業家に生まれ、「花外楼」になって5代目の女将。

