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【わたしの失敗】茶道裏千家前家元・千玄室さん(84)(4)
■妻の願いかなえられず
戦後間もない初渡米から約60年。その間、60カ国以上を訪問し、茶道を通じて平和の精神を訴え続けてきた。
茶室に入る前には武士も刀を預け、みな平等に茶を楽しむのが茶の湯。茶道には、日本人の「和」を尊ぶ気持ちがあるという。カンボジアのアンコールワット遺跡やバチカンでの献茶も記憶に新しい。
こうした国際的な活動を陰に日向に支えてくれたのが、妻の登三子(とみこ)だった。
「家内と見合いをしたのは昭和29年5月です。フランス語を勉強したいので、結婚をする気はないと。気が強いなあと思ったのが最初です」
勉強を続けることを条件に30年に結婚、二男に恵まれた。外国での公式な場では夫婦での参加が多く、明るく語学に堪能、気配りの上手な登三子は何よりの味方でありパートナーだった。平成9年の文化勲章受章を一番喜んでくれたのは、登三子だったという。
ところが、平成11年に68歳で死去。
「外国旅行といえば仕事ばかりで、ゆっくり二人で楽しむ機会がなかった。そろそろ家元を譲り、そんな旅行をしようねといっていた矢先でした。その願いをかなえてやれなかったのが何より心残りでなりません」
3年後の平成14年末、家元を譲り号を玄室に。実は家元の継承とは、先代の死去に伴い行われるのが通例だ。その意味でも画期的だったといえる。
とはいえ、家元を譲ったのを機に隠居…とはいかなかった。17年に日本・国連親善大使となり、世界の舞台でのニーズはさらに増えた。難民や環境問題など世界の問題も山積している。
「大使としてこれからもまだまだ行かなくてはならない場所は多い。来年3月で任期が切れるのですが、あともう1期との要望もあって。まあいいでしょう。せっかくいただいた命ある限りと思っています」=敬称略(文・山上直子)=おわり

