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【わたしの失敗】料理人・神田川俊郎さん(67)(4)
「何を話したらええのやろか…」
昭和37年、名門料亭「なだ万」から独立したばかりのころ、神田川は悩んでいた。初めての自分の店「ふく柳」(大阪・お初天神)は、カウンター越しに神田川自身が創作おでんを客に出す。料亭で修業した神田川にとって、それまでの仕事場は調理場。客と話す機会はあまりなかった。
今でこそテレビの料理番組などに出演し、軽快な語りで知られるが、当時は人前で話すのは不得手。妹の結婚式であいさつを頼まれたが、しゃべれなかったほどだ。
そんな神田川を、母のマサは「カウンターの中は舞台、料理人は役者や」と叱咤(しった)激励。神田川は客が帰った後の店内で、鏡を見ながら空き瓶をもって「一杯どうぞ」「いただきます」などと声を出しての特訓を始めた。
しかし、「いらっしゃいませ」といっている鏡の中の自分を見て驚いた。気むずかしそうな顔をしていたのだ。「これはあかん」。自分の表情を観察し、5つの自分の顔を知った。言葉に表情がついていくようになった。
「お客さんあっての商売」だから、客にかわいがってもらうための努力をする。当たり前のようだが、当時は「料理人は裏方で、接客業ではない」という考えがふつうだったという。
接客業としての料理人を目指した神田川がテレビと結びついたのは必然だったのかもしれない。しかし、昭和40年代にテレビに出演し始めたころは「権威がなくなる」「下品だ」と批判されることも少なくなかった。
「でも、垣根を越えなあかんしね。視聴者に日本料理のことをわかってほしいし、料理人にも接客業を覚えてほしいという思いがありました」
神田川は早くから後進の指導にも力を入れている。自身の料理番組に弟子をアシスタントとして出演させることも多いが、それも接客の教育の一環なのだという。
弟子たちにはよくこう言い聞かせる。「石の上に3年、橋の上に3年、泣いて3年、笑って3年」。日本料理を体に覚え込ませるには最低それだけの時間がかかるという意味だ。
「けれど、料理の世界でも何の世界でも、出発点あって終着点がないのが人生ですから」 =敬称略(文 青木勝洋)
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次回は俳優、柄本明さんです。

