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【現代(いま)に生きる時事新報】(14)経済倫理訴えた「尚商立国論」 (1/2ページ)

2008.12.3 08:25
このニュースのトピックス景気

 5月15日、東京・三田にある慶応大の三田演説館で「福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会」が開かれた。講演の由来について、慶応義塾創立150年記念事業として刊行された『慶應義塾史事典』が解説している。

 「福澤諭吉が芝新銭座(しばしんせんざ)(筆者注・JR浜松町駅付近)の慶應義塾で行っていた講義。アメリカ人経済学者のウェーランドの経済書を使用、上野彰義隊の戦争のさなかでも講義をやめなかったエピソードは有名…昭和31年、義塾では彰義隊の戦闘があった5月15日を“福沢先生ウェーランド経済書講述記念日”と定め、毎年、講演会を三田演説館で開催している」

 ≪国家像探る契機に≫

 この日は経済学部長、塩澤修平(55)が「慶應ボーイ小泉信三 気品の泉源・智徳の模範の体現者」と題して講演した。塩澤は、小泉を経済学者で言論人、教育者、スポーツマンのフェアプレー精神などの点から多面的に語った。

 福澤について「明治という新国家に文明という普遍性の要素を入れる設計(助言)者だった」と記した司馬遼太郎は、『街道をゆく』シリーズの『中津・宇佐のみち』で黒田如水の中津城や福澤旧居を訪ねた。諭吉の父、百助(ひゃくすけ)らに触れながら、福澤の経済学と思想を書いた部分はさすがに真髄をつく。

 「福澤の学問は、当初はオランダ医学あるいはオランダ語学習だったが、最後に三田で展開したのは、経済学だった。かれは西洋の経済学を導入することによって国家や文明がどうあるべきかを悟った。祖父、兵左衛門(へいざえもん)の分野はいわば農林経済、百助の仕事は流通論、商品学、帳簿学だ。藩の小吏だったが、この二代の蓄積が福澤を経済学に向かわせ大きく開花させた」

 慶応で経済学は、伝統的に教育の中心に置かれてきた。福澤が経済学を「最もよく進歩した学問」ととらえていたからで、経済学部は明治23(1890)年の大学部発足に際し、文学科、法律科とともに理財科として創設された。

 第一世代に堀江帰一、気賀勘重(かんじゅう)、続いて高橋誠一郎、小泉信三、三辺(さんべ)金蔵、野村兼太郎らを輩出。実業界には、さらに多くの人材が送り出された。“福澤山脈”といわれるほど多士済々が活躍している。

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