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【古典個展】立命館大教授・加地伸行 「理数振興」 国語教育が近道
行きつけの店なら、その店の名を覚えるのは当たり前。
けれども、通りすがりの場合だと、店の名など、ほとんど覚えていない。
それだけに、店の命名には苦心していることだろう。
大阪には、そういう店がある。たとえば「盗作料理」−この看板を堂々と張り出している。
近ごろ、芸術家気分で、創作料理などと気取っている手合いがいるが、たかが、めし屋ではないか。それならと、堂々の「盗作料理」。いいね。
定食屋にもいいのがある。「宮本むなし」−いいなあ。
めしや酒のパンチ力より、ことばのパンチ力のほうがはるかに人の心を捉(とら)える。
と書いているところへニュース。なんと、ノーベル賞に3人と。翌日にはまた1人。御同慶の至りである。
早速、メディアに論評が出た。その多くは、最近の子供の数学・理科離れが、このノーベル物理学賞・化学賞の受賞で歯止めがかかるのではないか、と。
それ、大嘘(うそ)。よくもまあそんなこじつけが言えるものである。高度の物理学や化学が分かるのは、才能があるごく少数の者だけ。この真理は昔も今も変わらぬ。圧倒的大多数の理数ぼんくら(もちろん私も含めて)は、理数なんて端(はな)から興味なし。と言うよりも、分からないのである。
受賞者の南部氏の「…破れの理論」とあると、破れなのだから、その対称として「…繕(つくろ)いの理論」もあるのかなあ、という程度。どうして理数振興となるのよ。
ここ、ここが肝腎(かんじん)。理数といえども、義務教育程度のものなら、これはしっかりと理解できなくてはならない。もちろん、それすらも理解できない者はいるが、義務教育レベルなら、なんとか理解が可能である。
ところが、それが学校教育できちんとなされていないので、理数離れが起きているのだ。ノーベル物理・化学賞の受賞者レベルとは、ほとんど関係のないところでの事情なのである。
政府は、ノーベル賞受賞者を30人、いや50人に増やしたいと言っている。御苦労な話である。
それも大切だが、義務教育内で、理数をしっかりと理解させることのほうが、もっと大切ではないのか。そういうしっかりした基盤がなくては、ノーベル賞級という天下の大秀才は現れない。
さらに言えば、義務教育内の理数を理解させ、また、水準を上げようと思えば、実は国語力を高めることが第一なのである。
義務教育のレベルの理数は、理数の才能がなくとも、国語力があればこなせる。小学校の算数の文章問題など、ほとんど国語問題ではないか。この国語力のない者は、理数が分からず、理数離れするのである。
理数振興を図ろうとするならば、実は国語振興が近道なのである。ことばのパンチ力が理数を楽しく分からせるのだ。
しかも、この国語教育は、単なる知識教育ではない。国語を通じて人格も高めるという最高の教科でもある。そういう人間教育を担う国語教育を疎(おろそ)かにしては、ノーベル賞もないものだ。『論語』に曰く「徳有る者は、必ず言(げん)(いい言葉)有り」(憲問篇)と。(かじ のぶゆき)