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【土・日曜日に書く】校閲部長・清湖口敏 種をまくのが情操教育

2008.9.14 02:49
このニュースのトピックス学校教育

 ≪ああ、そうだったのか≫

 大阪府河内長野市に住む音楽教師、武村まみさんは、唱歌や童謡を歌い継ごうと精力的な活動を続けている。今年初め、武村さんの自宅で開かれた例会に初めて出席し、大半が60代以上の人たちに交じって「たきび」など十数曲の唱歌、童謡を歌った。「さ霧消ゆる港への、舟に白し朝の霜…」と「冬景色」を歌っていてふと、手にした歌詞に目をやったところ、「港への」は「湊江(みなとえ)の」と書かれてあったのである。

 「ああ、そうだったのか…」と無知を恥ずかしく思いながらも、「湊江」といういかにも古語調の美しい歌語に出合えたことに、たぎるような興奮を覚えていた。それまで何十年と、私は詞を誤解したまま「冬景色」を歌ってきたわけだが、これがもし、「湊江」は子供には難しすぎる言葉だとして歌詞が書き換えられていたなら、人生で味わう貴重な感動を1つ損する勘定になっていた。

 唱歌には、古語調であることなどを理由に詞が改められた例も少なくない。高野辰之作詞の「春の小川」もその一つで、昭和17年、「流る」は「行くよ」に、「にほひめでたく」は「すがたやさしく」に改変された。その「春の小川」の“ご当地”が意外にも東京の代々木だと知って先日、歌碑の立つ代々木公園のほとりに出かけた。碑に刻まれた高野の詞をその場で小声で歌ってみて確信したのは、私が習った歌詞も決して悪くはないが、響きの美しさ、格調の高さでは明らかに、改変前の詞に及ばないということだった。

 ≪心にしみ入る唱歌≫

 高野といえば、唱歌「故郷(ふるさと)」の作詞者でもある。映画「明日(あした)への遺言」では、岡田資(たすく)中将らが「故郷」を合唱する場面があり、見ていて誰もが涙腺を溶かしたに違いない。拉致被害者家族の増元照明さんも、その場面が一番心に残ったと小紙に感想を寄せており、肉親の身の上を案じる切情が痛いほど伝わってきた。こうして「故郷」が今も日本のかけがえのない歌であり続けるのは、子供には難解ながらもその詞が、改変をまぬかれ生き残ったおかげだろう。

 明治期、教育的見地から制定が進められた唱歌の作詞には多くの国語教育者がかかわった。詞はしたがって叙情豊かで、大人の鑑賞にも十分堪えるものだ。そんな唱歌を子供の教育に生かさない手はない。「湊江」など一部の言葉については私のように細かな理解が得られなくてもよい、とにかく「歌詞の表す情景や気持ちを想像」(学習指導要領)させ、歌わせることが大事なのである。

 「力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし…猛(たけ)き武人(もののふ)の心をも慰むる」と古今和歌集の仮名序に書かれてある通り、美しい国語で表された歌は必ず、人の心をふるわせる。高齢者や認知症の人たちが随分昔に習った唱歌をいつまでも覚えていて、心から楽しそうに歌ったりするのも、歌が頭ではなく心に入っていくものだからだろう。

 思えば現在の国語は、携帯メールに象徴されるように情報伝達だけが目的の符丁に成り下がり、心にしみ込んで気持ちをふくらませる栄養分が乏しくなった。そんな時代だからこそ子供には、うんと早いころから、唱歌みたいに情緒に作用するすぐれた国語に触れさせ、人の悲しみをわが悲しみとして実感できるような情操教育を施したい。

 ≪子供におもねる教育≫

 音楽や国語だけでなく道徳でも戦後は、誤った人権思想の影響だろうか、子供に理解できないことは教えない風潮が強まった。会津の藩校「日新館」には「ならぬことはならぬものです」という有名な教えが残っているが、「正しいことは理屈抜きで正しい」と教える教育は既に見られなくなり、代わって子供におもねる教育が広がった。多くの若者が理由もなく人をあやめ、20にもなったいい大人を退屈させまいとして子供会みたいな成人式を催したりする現代の世相。悲しいかなそれは、戦後教育の末路に思えてしかたがない。

 子供が理解できようができまいが、いいものは無理にでも与えるのが大人の責務だ。後に国語学者となるほどの金田一春彦さんでさえ、小学校の時に覚えた唱歌の趣が分かってきたのは中学校に進んでからだといい、「子どもには、時には程度の高いものを与えて、今にきっとよさが分かるようになると教えることも必要」(「童謡・唱歌の世界」)と説く。

 数学者の岡潔さんの言葉も最後に紹介しておこう。「種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように…意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決されている」(「情緒と日本人」)(せこぐち さとし)

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