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【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(5)20年前から考える力消失 (1/3ページ)
「夏果てて秋の来るにはあらず」。これは「徒然草」第155段中の文言である。
北海道大学大学院の数学者、本多尚文准教授はこのごろ、この言葉の予見性をかみ締める。
何事にも前兆があり、急にある事態が出現するのではない−。兼好法師はそう言っているのだが、日本の今の若い世代の学力の衰退ぶりに重ね合わせて、本多氏には大いに痛感するところがあるという。「今から考えると、現状への兆しは、20年ほど前からありました」
本多氏は1984年8月に韓国ソウル市で学生を対象に開催された日韓合同の数理科学セミナーを思いだす。
4年後にオリンピックを控えた当時の韓国には、近代化を目指す活気が満ちていた。しかし、乗用車の性能ひとつをとっても、日本との産業・科学技術力には、大きな差があった。
この合同セミナー開催にあたった日本側は広中教育研究所。当時、米ハーバード大と京都大の教授であった広中平祐氏が主宰する民間組織だった。韓国側は明知大学校で、日韓合わせて61人の高校生から大学院生までが集まり、数学やコンピューターなど数理科学の勉強に取り組んだ。
「このとき、日本と韓国の高校生や大学生の間に歴然とした差が表れたのです」
当時、東大の大学院生であった本多氏は、セミナーの運営を手伝うスタッフとして参加していたこともあり、より客観的に見ることができた。
驚いたのは、知識や学力の差ではない。数学や物理の力では日本側が圧倒的に上だった。英語力も韓国側が後れをとっていた。しかし、学生として最も基本的な部分の判断力や、ものを考える力で、日本の参加者が劣っていたのだ。
5泊6日のセミナーが進むにつれて韓国側の教授陣が驚き始めた。交流のための市内見学などの際にも日本の参加者は緩慢だった。相手の意をくみ取り、次を読んで適切に動く韓国の若者たちの行動との間に、際立った差が表れた。
「あのときの日本からの学生は、いわばエリート的な集団でした」と本多氏は補足する。



