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【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 第2部(3) (1/2ページ)

2008.12.24 07:56
このニュースのトピックス邦楽

 

全貌を知るキーパーソンはどこへ

 昭和19(1944)年、1枚のSPレコードがビクターから発売された。朝鮮半島で公開された映画「兵隊さん」の主題歌「日本男児」。いわゆる軍国歌謡だ。朝鮮語のレコードは製作が中止されていたため日本語での発売となった。

 作曲者は「朝比奈昇」。戦前、戦中に日本でも活躍した金駿泳(キム・ジュンヨン)である。

 終戦後、今の北朝鮮の黄海道でしばらく過ごしたのち、22年に再び日本へ来て、一説には36年に東京で亡くなったとされる。戦後の消息は伝わっていない。

 「韓国が誇る大作曲家でした。日本でも活躍されていましたね。晩年? それはまったくわからない」

 韓国歌謡界の大御所で今年91歳になった作詞家、半夜月(パン・ヤウォル)は金駿泳についての遠い記憶をたどりながらこう語った。「私はいつも聞き役でね。クラシック音楽にも精通しておられた」

 金駿泳は若いころ、日本の武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)でピアノや管弦楽を学んでいる。大衆歌謡では「處女総角」や「泣くな紅桃(ホンド)」の大ヒットで知られるヒットメーカーだったが、仕事は他の分野にも及んだ。日韓で映画の音楽監督を任されたり、放送や松竹少女歌劇など舞台の世界で音楽責任者もつとめた。

 韓国学中央研究院韓国学大学院の李●熙(イ・ジュンヒ)は「当時、正式な音楽教育を受けた大衆音楽の作曲家は少なく、金駿泳は希有(けう)な存在。他にもヒットメーカーはいましたが、曲構成の緻密(ちみつ)さでは群を抜いていた」。

 足跡を知る資料も手がかりもほとんどなく、関係者の大半はもういない。

 再来日した22年は朝鮮半島が南北に分断される前年。出身地の黄海道は北朝鮮側。何らかの政治的な意思をもって来日したのか、あるいは日本に新たな活躍の場を求めたのか。

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