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【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 第2部(2) (1/2ページ)
■作曲家と編曲者、友情が結んだヒット曲
日本コロムビアの専属作曲家だった服部良一が初めて編曲を手がけた朝鮮半島の大衆歌謡は、昭和12(1937)年6月に発売された「踊る乙女」(作曲・全基●(チョン・ギヒョン)だった。当時30歳。その後、18年10月までに約50曲の朝鮮歌謡を担当している。原曲の多くが当時を代表するメジャーな作曲家の作品だった。
韓国大衆音楽史を研究する韓国学中央研究院韓国学大学院の李★煕(イ・ジュンヒ)は「モダンなアレンジができる服部だから自作の編曲を希望した作曲家は多かったと思う」とその力量を高く評価する。
そんな一人に、金駿泳(キム・ジュンヨン)がいた。朝鮮半島で数々のヒット曲を生み出し、戦前、戦中の日本では「朝比奈昇(あさひな・のぼる)」の名で音楽監督として松竹映画や松竹少女歌劇ともかかわっていた人物である。
服部良一は金駿泳の作曲した8曲を編曲している。「港の女」「宵のサロン」「花賣娘」「乙女純情」…。先月見つかった“朝鮮楽譜”には、これらに混じって最大のヒット曲「泣くな紅桃(ホンド)」(歌・金英椿(キム・ヨンチュン))もあった。
ただし、この曲が昭和14年に発売されたときは天池芳雄という別の日本人が編曲した。服部良一がかかわったのはその4年後。金駿泳は従来の大衆歌謡の枠を超えた軽音楽として世に出したかったのだろう。2度目の編曲を服部良一に委嘱した。
良一の長男で作曲家の服部克久は「金駿泳さん? 初めて聞きました。ただ父がアレンジした楽譜を見るとすごくしゃれた感じに仕上がっている。オリジナルがいわゆる歌謡曲なので当時としてはかなりモダンだったのでは。編成もジャズっぽいし、金さんも驚かれたでしょう」と思いをめぐらせた。
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