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【インタビュー】「やっぱり私は歌手だから」森昌子 個人事務所設立、心機一転で再出発 (1/2ページ)
明らかに違っていた。
目の前に現れた女性は、すべてに吹っ切れたようで、みずみずしさすら感じさせる。「ホリプロ」から独立し、個人事務所「おんがく工房」の社長に就任したばかりだ。
「不動産探しに契約書のサイン、新聞の熟読…毎日仕事に追われてる。事務所の名前も自分でつけたのですが、大量生産の場ではなく、1つ1つのものづくりを丁寧に、という思いを込めています」
こんな明るい表情を見せるのは、ここ数年では初めてではないだろうか。苦難を乗り越えた女性は、かくも強くなるものかと感心させられる。実際、歌手、森進一との離婚に心の整理をつけるのは、並大抵のことではなかった。
「離婚前の1、2年はさすがにきつかった。相談していた堀さん(ホリプロ取締役ファウンダー、堀威夫氏)からは当時『心も体も元気でないと、復帰するにしても歌に対して失礼だ』と言われた。私は一人っ子で昔から内向的な性格。時間がかかりました」
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13歳のとき、「せんせい」でデビュー。山口百恵、桜田淳子とともに花の中3、高3トリオとして一世を風靡(ふうび)した。ほかの2人のアイドル性とはちょっと距離を置いて、「歌のうまい子」というイメージがあったが当時、それが強いプレッシャーとなり「やめたくて仕方がなかった」。
百恵から「もうやめるんだ」と、俳優の三浦友和との結婚を告げられたときも「一抜けたという感じでうらやましかった。私も結婚は夢だったので、歌をやめる理由はないかと考えました」。
“夢”がかなって昭和61年、森進一と結婚し、28歳で引退。3人の男児に恵まれた。当初、結婚生活は充実していた。教育熱心で子供たちにはもっぱらスパルタ式で臨み、歌手をやっていたことなど思い出す暇もなかった。
笑顔が消え始めたのは、夫が主宰する「じゃがいもの会」のステージに引っ張りだされたころからだ。
「一番下がまだ小5。歌うつもりはまったくなかったのに、歌わされた。明るいお母さんではなくなりましたね」

