ニュース: エンタメ RSS feed
【新響地】客員ロンドン特派員・葉加瀬太郎 内なる「日本」を弾く
世界中のありとあらゆる街にそれぞれのにおいがある。ロンドン、パリ、ニューヨーク。21世紀を迎えたグローバルな大都会でもその個性はいまだ強烈だ。
なかでも4歳からバイオリンを弾きクラシック音楽を学んできた僕にとって、ヨーロッパの国々はいつも特別な感動を与えてくれる。ここでいうクラシック音楽とは過去300年のヨーロッパ音楽のことだ。
僕は、この極東の島国に生まれながらも、常に、イタリアで誕生した楽器を操り、ゲルマン、アングロサクソンを中心とした文化が発展させた音楽に全身全霊をかけて取り組んでいることに疑問と違和感を抱えながら過ごし、それをのみ下した上で活動してきたつもりだ。そして、10年ほど前から頻繁に世界各国に旅にでかけ、さまざまな国の人々と音楽、芸術を通じて触れ合ってきた僕は、外へ行けば行くほど自分の中のニッポンを見つめ直すことになった。
そうした活動を通して、現代の日本を含めたアジア先進国の人間を、「表は黄色いがひとたび皮をむけば真っ白な中身が露呈するバナナ」に例えた学者がいたが、しかし本当にそうだろうかと疑問を抱くようになった。
たとえば、初めてニューヨークでレコーディングをしたときに、こんなことがあった。僕はブルースのコードに基づいた深夜のマンハッタンをイメージした「watashi」という曲を作ってスタジオに臨んだ。プロデュースをしてくれていたアート・リンゼイはその曲に雅楽のような響きを見つけ出し「Taroの音楽は非常に日本的だ」と言った。僕が表現したかったマンホールから湯気の噴き上がるマンハッタンの午前3時の静けさは、彼の心に京の雅(みやび)を映し出していた。
その後どんどん僕は自らが作る音楽の中で、日本人的なものをあえて意識するようになっていった。といっても、バイオリンで文部省唱歌を演奏するとか、民謡を取り入れるとかそういう直接的なことではない。僕が着目したのは日本人の器用さ、正確さ、潔癖なまでもの清潔さだった。まじめと言い換えることもできるかもしれない。何度も外国人と仕事をしていく中で発見、実感したことの最たるものはそれだった。
また、僕は紛れもない日本人だと再確認した。ならば世界を制した日本車のような音楽を作りたいと心に決めたのだった。ロールスロイスでもメルセデスでもない。フェラーリでもない。今は失われつつある日本人が高度経済成長の中で学んできた皆の意見をまとめて形にしていく姿勢を受け継ぎながら、より多くのニーズにまじめに応えたくなった。
そして、そろそろいい時期なのかもしれないという漠然とした理由でずっとあこがれ続けてきたロンドンに居を構えた。初めて訪れたときにすでに恋に落ちたこの街。何から何まで日本のような便利さはどこにもない。そのかわりに僕たちが失ってしまったとても大切なものを彼らは失っていない。そんな気がする。今回から始まるこの連載では、そんな僕のロンドン生活の中で見て感じたいろんなことを徒然(つれづれ)とつづっていきたいと思う。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。(はかせ・たろう)