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【人、瞬間(ひととき)】あの言葉 山崎ハコさん(50)(中)
□シンガー・ソングライター
トンビがタカを産んだ
家は貧しかった。
「でも、暗くもなく、感心な子供でしたよ。貧乏でいじめられるのはいやなので、勉強をしっかりやって、ずっと学級委員をやっていました」
家計を助けるつもりだったのだろう。ハコが小学校4年生のとき、母が小料理屋を始めた。
「街中ならまだしも、こともあろうに地元で店を開いたんですよ。母が水商売をやっているというのが、子供心にいやでいやで仕方なかった」
あるとき、店を訪ねたハコに母はこう話しかけた。「お母さんの自慢はね…」
ハコは、次にきっと自分の名前が出てくるだろうと思った。ところが、母の口から出た言葉は「このカウンター。継ぎ目がないとよ、このカウンター」であった。
『私じゃないんか』。肩すかしを食わされた感じがしたが、いとおしそうにカウンターを磨く母の姿がとてもかわいく思えた。
「あの瞬間に、母に対するわだかまりが氷解して、一緒にカウンターを磨きました」
残念ながら数年後、店は立ち行かなくなり、山崎家は田んぼも手放すことになる。
ハコが14歳のとき、郵便局に勤めていた父は、横浜の地下鉄工事の仕事を見つけ、ひとりで故郷の日田を離れた。母もすぐに後を追った。ハコは中学卒業まで故郷に残り、高校入学時に両親のいる横浜へ移る。
18歳でアルバム「飛・び・ま・す」をリリースしたとき、母はたまっていたものをはき出すように言った。
「お母さんは酒飲みだし、店もつぶしたし、体も弱いし、ろくなもんじゃない。でもね、ひとつだけすごいことがあるんよ」
「何を言いたいんだろう」と、ハコがけげんに思っていると、母はこう続けるのだった。
「それはトンビがタカを産んだこと」
言っている意味はすぐに理解できたが、わざととぼけて「タカって?」と問うと、母は「あんたやね」と照れたように言った。
「このときの母の言葉は、決して忘れることができません。でも、タカになるのはなかなか難しい」=敬称略(文 桑原聡)

