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【わたしの失敗】ミュージシャン・喜多郎さん(4)
■ステレオ放送めぐり対決
「シルクロード」のテーマ曲が映像とともに流れたのは昭和55年。飛躍のきっかけになった代表作だが、放送前の半年間、NHKのスタッフと大激論があったことは、あまり知られていない。
「絶対にステレオで放送してください、っていうやりとりがほとんどけんかのようでした」
当時の放送はまだモノラルが主流。シルクロードもモノラルの予定で準備が進んでいた。そのままだと「音声に音楽が負けちゃう面があるんですよ。特にナレーションが石坂浩二さんだったので、声がいいですからね」。
従来のスタイルを踏襲するだけで、ドキュメンタリーの音楽を単なる「効果音」としか考えない局側の姿勢にも疑問を抱いていた。「それはいけないでしょうと。独立した『音楽』として成り立ってほしいという思いがありました」
ステレオにこだわる理由は臨場感だった。「音の輪郭が出てくるし、見ている人たちのイメージも広がりますし」
NHK側の答えはひたすら「ノー」。「でも僕としては新しいチャレンジをしたいと思っていたから、とにかくぶつかりました。駆け引きっていうか、モノラルだったらやりません、みたいなことになったかも分かりません」
激論を繰り返して半年後、ようやく願いがかなった。「僕がいわなかったらそのままモノラルになっちゃったでしょうね」
放送の形態だけではない。この曲にかける喜多郎の思い入れは強かった。番組は中国の話だったが、あえて中国の楽器は使わなかった。「きれいなシンセサイザーの音で、中国の西域文化を描ききれないか」「映像と音がマッチすることで、シルクロードに満ちているロマンをかき立てられないか」。生みの苦しみを乗りこえ、花開いた名曲だった。
シルクロードには計6年携わった。ステレオ対応のテレビも普及し始めた時代の波に乗り、穏やかなメロディーは多くの人の心に刻み込まれた。
当時、「対決」したスタッフ数人とは今でも親交を続け、手紙を交わしているという。「私の失敗というより私の成功といった方がいいのかも」。喜多郎の笑顔は優しかった。=おわり(文 安田幸弘)
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次回は元首相の細川護煕さんです。