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【話の肖像画】東西とーざい(1)演劇研究家・河竹登志夫さん
■外国人にも分かる「情念」
−−歌舞伎の海外公演が花盛りですね。5、6月には中村勘三郎率いる「平成中村座」のヨーロッパ公演、昨年3月には、市川団十郎、海老蔵親子による初めてのパリ・オペラ座公演…
河竹 最近は英語のセリフを入れたり、フランス語で口上を述べたり、海外公演の“開拓時代”とはちょっと趣(おもむき)が変わってきました。初期のころは外国人に「きっちりとした(正統派の)歌舞伎」を見せる必要があったのですが、今では、いろんな試みができる。新たなステップに踏み出した感がありますね。
−−海外公演にかかわったのはいつからですか
河竹 1960(昭和35)年のアメリカ公演が最初です。文芸顧問として、先代の勘三郎(当代の父)らと一緒に、ニューヨーク、ロサンゼルスなどを回りました。1985年には、団十郎(当代)の襲名披露公演を、やはりアメリカでやりましたが、総勢約70人の大規模な公演で、これによって海外での歌舞伎の評価は完全に定まったと思います。今や国内巡業のマーケットとあまり変わりありません。気楽に出かけていくといった感覚でしょうか。
−−海外では「日本的な様式美」を前面に出した演目は、案外、うけないそうですね
河竹 当初は「勧進帳」や「娘道成寺」が外国人には分かりやすいと考えていたのですが、そうではなかった。むしろ、ドラマ性の高い「俊寛」や「忠臣蔵」、夫婦愛をテーマにした「壼坂霊験記」の人気が高かったのです。これは意外でした。情念に訴えるような“人間臭い”葛藤(かっとう)の芝居に普遍性があるということでしょう。
−−でも主君のために命をなげうつ、といった物語が西洋人に理解できるのですか
河竹 ええ、例えば「忠臣蔵」。判官が切腹する場面だけなら、ただ、残虐なだけですが、前の場があるから、外国人にも、追い込まれていって刃傷に及んだ判官の気持ちがよく分かる。“悲劇の主人公”になれるのです。名作と呼ばれる芝居は、やはりドラマがしっかりできているんですね。(喜多由浩)
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【プロフィル】河竹登志夫
かわたけ・としお 大正13(1924)年、東京生まれ。東京帝国大学理学部物理学科、早稲田大学文学部(演劇専攻)卒、同大学院芸術学科修了。早稲田大学教授、ウィーン大学客員教授、日本演劇学会会長、日本演劇協会会長などを歴任。文化功労者、平成12年に恩賜賞・日本芸術院賞受賞。江戸歌舞伎の狂言作者・河竹黙阿弥の曾孫。近著に「ずいひつ 背中の背中」(小学館スクウェア)。

