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【街物語】(31)フーテンの寅さんが愛した故郷 (2/3ページ)
「ガラス越しに、ごはんを食べている家の家族の姿が見えていたりする。そこに故郷というか、人間のにおいを感じた」。人情劇を描くうえで譲れない条件だった。
山田の撮りたかった映画は、大都市の洗練された生活ではない。都会の片隅にひっそりと存在する、ひなびた田舎のぬくもりだった。
「僕たちが40年前に撮影したとき、柴又の人たちは上野や銀座に行くのを『東京に行く』って言っていたんだよね。東京のはじっこだし、自分たちも東京だと思っていないんだな。田舎だと思ってる。それがとても面白かったね」
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柴又で江戸時代から続く老舗料理屋「川甚」の女将、天宮美恵子(82)は、撮影の合間に、庭の池のほとりで渥美と交わした会話を思い起こす。
「こっちは緊張してしまって全然うまくしゃべれないけれど、渥美さんはそれは話し上手で、うまく会話をリードしてくれるの」。素の渥美は意外と二枚目だったようだ。渥美の思い出を語る彼女の声が女学生のように弾む。
昭和22年、20歳の時に静岡から柴又へ嫁入りした。当時から評判の美人で、日傘を差して着物姿で参道を通ると、町の男衆はその美しさに見とれたものだった。団子屋は団子を焦がす。ウナギ屋のかば焼きは焼けすぎる。商店街は大損害だったという。
山田がお気に入りの逸話は、マドンナとなって映画の雰囲気にもはっきりと根付いている。
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第1作が封切られたのは昭和44年のこと。山田が率いる撮影隊は、渥美ら俳優陣とともに四半世紀、手を取り合い合計48作もの物語を世に送り出した。しかし、その渥美は平成8年に他界した。今年ははや13回忌になる。
映画を象徴するロケ地となった江戸川の土手沿いの通りはかつて、雨が降ると水たまりができたでこぼこだったが、今はコンクリートですっかり塗り固められた。





