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【「明日への遺言」の証言者たち】(2)長男・岡田陽さん(下) (1/2ページ)

2008.2.11 12:47
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昭和20年9月20日、岡田資中将(右から2人目)が巣鴨プリズンへ出発する当日、愛知県半田市の自宅で撮影した家族の写真。中将の左隣が陽さん昭和20年9月20日、岡田資中将(右から2人目)が巣鴨プリズンへ出発する当日、愛知県半田市の自宅で撮影した家族の写真。中将の左隣が陽さん

 ■生まれる時代が早すぎた…

 「きっと父は生まれる時代が早すぎたのだと思う。今生きていたら何をしていたでしょう…。何にでもがんばる人でしたから。長生きしていたらいろいろなことを成し遂げていたでしょうね」

 岡田資中将の長男、陽(あきら)さん(84)にとって、軍人としての勇気と誇りを持ち、米国の無差別空爆の違法性を訴えるためにたった一人で対峙(たいじ)、部下を守るために命を懸けた父の生き方は、息子という立場から見ても壮絶に思えた。

 「明日への遺言」の原作『ながい旅』の著者、大岡昇平氏は、こう書き記している。「戦争でよく戦うものは、平和のためにもよく戦うだろう」と。

 幼いころは父とよく演劇を見に行ったり、海水浴などに出かけたが、思春期になると自然と父に反発、避けるようになった。陽さんは17歳の時、両親に何の相談もなく、特攻隊を志願した。母は悲しみ反対したが父は何も言わなかった。

 特別操縦見習兵として訓練を受けたが、日本では空戦用の航空機も尽き、陸戦の歩兵となるため船に乗ってサイパンへ向かった。その途中、爆撃を受けて船は沈没。8時間泳ぎ続け、命からがら陸にたどりついたという。「幼いころ父に連れられ、遠泳で鍛えられたときは、つらかったけど、このとき初めて感謝しました。あきらめずに泳ぎ続けることができたのは、あのときのつらい経験があったからですよ」と苦笑する。

 「米軍は台湾にいる日本軍を攻めに来るか、沖縄へ上陸してくるかだろう」。こう上官に言われた陽さんは、台湾の部隊で小隊長となり、米軍を迎え撃つための訓練に明け暮れていた。が、果たして米軍は沖縄に上陸。「私たちはほとんど武器を持っていなかった。もし上陸されて攻撃を受けていたら確実に死んでいました」と振り返る。

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昭和20年9月20日、岡田資中将(右から2人目)が巣鴨プリズンへ出発する当日、愛知県半田市の自宅で撮影した家族の写真。中将の左隣が陽さん

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