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【わたしの失敗】映画監督・森田芳光さん(57)(1)
■自信作持ち込むも一蹴
「お話にならないな。出直しなさい」
当時、革新的な手法で大きな注目を集めていた邦画界の大物プロデューサーの一言に、森田芳光は肩を落とした。
「これで一気に監督デビューしたりして、なんて考えていたけど、たった一言でがらがら崩れた」と振り返る。
昭和53年、東京・新橋の映画会社試写室。この日、森田が持参した作品は、ちまたで話題を呼んだ8ミリフィルムの自主映画作品「ライブイン茅ヶ崎」。神奈川県茅ケ崎市を舞台に、農家の息子たちと都会の娘の日常風景をスケッチした作品で、各方面から絶賛されていた。人気作家、片岡義男が強く推したことなどから、評判は重鎮の元に届き、「作品を見てみたい」と声がかかったのだが…。
「まずは(劇場公開用の)35ミリフィルムで1本撮ってみなさい」
重鎮はそうも言ってくれたが、30歳手前で撮影現場を経験していない青年が、映画監督を目指す道はないに等しい。しかし、この一言は「劇場の支配人か、結婚式場のカメラマンにでもなろうと考えていた」という森田を大きく揺さぶった。
「自分の力で、一から映画を作ってやる」
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森田は動き出した。あちこちを駆け回り、3000万円を工面した。チャンスは一度きり。この作品で、自分の持てるすべてを出さなければ、後はない。自分の好きな落語の世界を舞台にした作品「の・ようなもの」の脚本を完成させた。真打ちを目指す落語家の志ん魚(しんとと)とその仲間、風俗嬢のエリザベスらが登場する青春群像劇だ。
素人に過ぎない森田が、渋谷に事務所も用意した。「ぼくの家で出演交渉をしても、信用されない。形が大切」という考えからだった。その事務所で、ギャラの交渉までも一人で行い、エリザベス役の秋吉久美子ら出演者を次々と口説き落とした。素人に近い青年が監督とプロデューサー業の両方をこなした。
「何も知らないからできた。今やれっていわれても無理ですよ」
やがて、東京・日暮里で、森田は念願の35ミリ作品撮影初日を迎えた。坂道を主役の志ん魚(伊藤克信)が降りてくる。
「興奮してたのかな。演技に見入って『カット』の一言をかけるのを忘れた」。伊藤は仕方なく、どこまでもどこまでも坂を下っていった。
専門的な訓練を受けていない森田は、映画の現場にとまどった。35ミリ用のカメラと照明は大きくて重く、8ミリのように即興的に動くことができない。「そこ“わらって(片づけて)”」といった業界用語もまったく分からない。それでもベテランのスタッフたちは親切だった。
「当時はまるで経験のないぼくみたいな映画監督は存在しなかった。やることなすこと、みんな面白がってたんじゃないかな」
56年9月、映画は完成し、東京・渋谷の東急名画座での公開を迎える。
森田の脳裏に今も強く焼き付いている光景がある。公開日の前夜、名画座が入る東急文化会館に垂れ幕がかかった。タイトル「の・ようなもの」と、「森田芳光監督」の巨大な文字がひるがえっている。
「観客としてさんざん通った名画座に、ぼくの作品がかかる。うそみたいだと思ったよ」。森田は垂れ幕をいつまでも眺めていた。=敬称略(文・岡本耕治)
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【プロフィル】森田芳光
もりた・よしみつ 昭和25年、東京都出身。日大芸術学部放送学科卒。東京・飯田橋の劇場アルバイトを経て、56年「の・ようなもの」で監督デビューし、その後、「家族ゲーム」「それから」「(ハル)」「失楽園」「黒い家」など、幅広いジャンルで常に時代を先取りした作品を次々と発表し、話題を集めてきた。今後も10月6日公開の「サウスバウンド」や黒澤明監督作品のリメーク「椿三十郎」などの公開が控えている。