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【わたしの失敗】歌舞伎俳優・中村吉右衛門さん(4)
■背の高さに理不尽な批評
身長178センチ。若いころには上背で損をすることもあった。やせていて「マッチ棒、電信柱」と陰口を言われた。軽さを表現する舞踊で、「重戦車」と評されたこともあった。もっと理不尽な仕打ちも。場所は大阪。歌舞伎を代表する演目「勧進帳」で、富樫を演じたときだ。
「(市川)猿之助さんの弁慶で、富樫をやらせていただいた。『勧進帳』は、弁慶が低く、富樫が高いとバランスがいい。片や黒の衣装で重厚、片やあさぎ色でさわやかなイメージがある。富樫はスタイルのよさを出す演出なので、背の低い人は継ぎ足を履き、高く見せる。ぼくはいつも履かないのですが…」
ある劇評でこんな風に書かれた。「吉右衛門は何という奴だ。背の高いのを誇示するように、あんな継ぎ足を履いている」。困ってしまった。役者は反論できない。
「相手は高名な評論家の方で、こちらは若造ですし…。といって腰を折ってやるわけにもいかない。本当に困りました」。苦く惨めな経験だった。
「勧進帳」では、手痛い失敗も。歌舞伎座で源義経に仕える四天王のひとりを演じたときだ。弁慶は実父の八代目松本幸四郎、義経は中村雀右衛門が務めていた。安宅の関で、義経一行が富樫に止められ、弁慶が「勧進帳」を読むことになる場面だ。
「花道で義経に金剛杖を渡す役でしたが、横で杖を立てて持っているあいだにうっかり手放してしまった。杖が落ちてお客さまの頭に当たった。後でおわびに行きましたが、(舞台で)杖がないとどうにもならない。あわてましたね」。幸い、すぐに客席から杖を渡してくれたので、舞台の方は無事に務めることができた。
それから40年あまり。今では富樫、弁慶ばかりでなく、初代が演じた加藤清正なども立派に務める。いま歌舞伎座で上演中の「秀山祭」でも「初代が手がけた役、得意とした役を演じていく」と宣言した。演目のひとつ「熊谷陣屋」では、悲劇の武将・熊谷のスケールの大きさが際立つ。身長が舞台の上で物を言う。
吉右衛門は著書『半ズボンをはいた播磨屋』に育ての親の婆や(村杉たけ)を「最愛の大恩人」と記している。恩返しはできただろうか。
「婆やは初代や六代目(尾上)菊五郎、十五代目(市村)羽左衛門らの名優を見ている。ちょっとやそっとではダメでしょうね」。役者稼業に終わりはない。
=おわり
文 生田誠