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【わが道わが友】曙ブレーキ工業社長・信元久隆氏(4)
■「摩擦と振動」の技術に特化
平成2年6月、父・安貞から曙ブレーキ工業の社長を引き継いだ。当時、私は41歳。「いつかは社長になる」という心構えはあったが、正直、まだ早いとも感じていた。前社長が「中興の祖」としてあまりにも偉大で、副社長以下との差が大きすぎたことに不安もあった。
ただ、自分が経営者になったときに、一番に変えたいことは決まっていた。それは「社長の能力の限界が、会社の限界にならないようにする」ことだった。
売り上げが拡大を続けた国内事業は、バブル崩壊と円高の進行で、11年3月期決算で大幅な減収減益に見舞われた。事業の抜本的な見直しが喫緊の課題となった。
そのとき以来、会社の進むべき方向を社員全員に共有してもらうことを願い、まず、「摩擦と振動、その制御と解析により、一つ一つの命を守りはぐくみ、支え続けていく」という経営理念を定めた。それはすなわち曙ブレーキが蓄積してきた「摩擦と振動」の技術に特化することだった。当時は、乗用車用ABS(横滑り防止装置)やエレクトロニクス分野にも手を広げようとしていたが、それらからの撤退を決め、「ブレーキ専業メーカー」としての生き残りの道を求めた。それは、父が進めた「総合ブレーキメーカーの確立」からの脱却でもあった。
代わりに選んだのは、ブレーキ部品の最重要機能を担う摩擦材事業の強化であった。この商品で世界30%のシェアを獲得するには何が必要かを考えた。曙ブレーキの商品はどれも平均点レベル。それではブレーキのエキスパートとはいえないと痛感したからだ。
ちょうどそのとき、マウンテンバイクの全日本選手権に参戦するためのレース用マシンのブレーキを開発してはどうかという話があった。自転車用のブレーキといえども、レース用のブレーキ開発は技術者を育てる良い機会になると思い、開発に着手した。
しかし、自転車用のブレーキと甘く見ていたのか、実際にできたものはまったく使い物にならなかった。四輪車と違い、自転車は前後のバランスが崩れただけですぐに転倒してしまう。ブレーキ比率の配分だけでなくマスターシリンダーからすべて作り直し、“ブレーキそのものの役割”を基本から見直す作業を繰り返した。
このときに培った経験は、19年のF1マシンへのブレーキ供給参入の土台となり、曙ブレーキそのものの技術力向上につながった。
ブレーキ専業への改革は着実に実を結び、昨年度の業績は過去最高を記録した。しかし、ここに来て100年に1度といわれる自動車不況に直面している。10年後にどのような形で生き残れるのか。その変革の指針を定めることが、私の役割だと考えている。社長としての「本当の手応え」を感じられるとしたら、今回の試練を乗り越えたときだろう。

