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【わが道わが友】キッズシティージャパン社長・住谷栄之資氏(1)
■主将として慶大水球部の伝統守る
高校、大学、それに社会人の2年間、水球に明け暮れた。一般にはマイナーなスポーツである水球と出合ったのは、偶然からだった。
母校の大阪府箕面(みのお)市立箕面中学校は、生徒数が増えたことから私が3年生に進級する時に新設校ができ、私の所属していたサッカー部のほとんどの部員が新しい学校に移ってしまったので、サッカーを続けるのが難しくなった。でも運動は続けたいと思い、同級生だった木藤(きどう)浩之君(元神戸製鋼所勤務)に誘われるままに水泳部に入った。
大阪府立池田高校に進学すると、今度は水泳部がなかったので、仕方なく水球部に入部した。当時、水球部のある高校は少なく、大きな大会に出るチャンスが多い。次第に水球に熱中し、私は2、3年生と連続して国体とインターハイに出場した。いずれも池田高は大会予選で敗退したが、私は高校選抜チームのメンバーに選ばれた。
ポジションはゴールキーパー。マンホールのふたをウエート代わりに頭の上に掲げ持ち、立ち泳ぎをするトレーニングを繰り返した。他のメニューも含めて1日4〜6時間は練習した。池田高の同級生で、当時の主将だった岡田宏一君は日立造船を勤め上げ、現在、シニアボランティアとして「キッザニア東京」の運営を手伝ってくれている。
また、池田高の先輩にはサントリー元社長の鳥井信一郎さんがいて、私が外食産業に身を置いてから大変お世話になった。
慶応大学商学部に進んだのは、池田高の監督に、彼の母校でもある慶大で水球を続けるよう強く勧められたためだ。横浜・日吉にある合宿所に入り、歩いて15分の日吉キャンパスにある屋外プールに通う生活がスタート。4年間、水球漬けの日々を送った。3年生からは東京・三田の校舎で授業を受けなければいけないのだが、私は練習のために日吉にばかり通っていた。
毎年4〜9月がプールで練習するシーズンで、冬の間は陸上トレーニングをする。ゴールキーパーの私は2年生からレギュラーになり、運良く全日本代表メンバーにも選ばれるようになった。4年生の時には慶大水泳部水球部門の主将に指名された。
ただ、2年上と1年上にそれぞれ数人ずついた全日本代表クラスの選手がごっそり抜けたあとのチームで、主将の私は伝統を守るために必死で部員を引っ張った。結局、全日本選手権3位と、それまでと遜色(そんしょく)のない成績を残すことができ、主将としての重責を果たせたと思う。
運動部には、試合に勝つという明確な目標がある。その目標に向けてチームを一つにまとめていくのは会社経営にも共通する。振り返ってみれば、当時の経験は社会に出てからも役に立っている。
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【プロフィル】住谷栄之資
すみたに・えいのすけ 昭和18年、和歌山県生まれ。40年、藤田観光入社。44年、創業経営者の一人としてWDI設立に参加し、平成12年から15年まで社長。16年にキッズシティージャパンを設立し、社長兼CEOに就任。

