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【わが道わが友】帝人会長・長島徹氏(1)
■「一生続ける」と宣言したテニスが健康法
昭和18年、韓国・馬山にあった母方の祖父が経営する病院で、3人兄弟の長男として生まれた。終戦で広島県上下町(現府中市)に引き揚げてきて、英語教師だった父の就職先が京都市立洛陽高校(現洛陽工業高校)に決まるまでの2年間、そこで暮らした。
京都の家は大徳寺の隣。遊び場には事欠かず、大徳寺の境内に忍び込んでは、木登りや虫捕りをした。友達と一緒にぞろぞろと近くの船岡山公園や、少し離れた上賀茂神社にも足を延ばし、食事も忘れて遊んだ。裕福ではなかったが、医家育ちの母は私に絵画を習わせてくれた。
父が県立兵庫農科大学に転職したのに伴い、小学3年生の2学期から兵庫県篠山町(現篠山市)に転居。篠山鳳鳴高校を卒業するまでの多感な10年間をこの地で過ごした。今年が卒業50周年となる篠山中学の同期生には、阪急交通社社長の小島弘君らがいる。この9月末には、90歳にもなる担任の三宅剣龍先生も参加され、篠山で百数人の盛大なパーティーが開かれた。
私は中学、高校と軟式テニスに熱中。36年に名古屋工業大学繊維工学科に進学してからも、硬式テニス部に入ってテニスを続けたが、最初の1年間は軟式から硬式の打ち方に変えるのに苦労した。それでも、2年生の夏には東海学生選手権新人戦のダブルスで準優勝。3年生の時は、ダブルスの東海代表として全日本学生選手権に出場するまでに腕を上げた。
テニスは帝人に入社してからも続けた。結婚してからも妻に「テニスは一生やるからな」と宣言。社長就任後の2年間を除いて続けている。テニスはラケット一つ持ってコートに行けば、「お願いします」と言って始められ、誰とでもすぐ友達になれる。今も夕方などに時間が空くと、明治神宮外苑のクラブ(東京都港区)で汗を流す。私にとっては一番の健康法だ。
名古屋では、叔母が借りていた公団住宅を私のために空けてくれたので、6畳間にダイニングと風呂、トイレがついた部屋に住んでいた。当時の学生としてはかなりぜいたくな方で、友人たちのたまり場になっていた。
その友人の一人に、現在は日野自動車会長の近藤詔治(しょうじ)君がいる。近藤君は大学は東大だが、名古屋の出身。私のクラスメートで、日本マイヤー前社長の今井啓祐(けいすけ)君と高校時代の同級生だったことから、名古屋に帰省するたびに、今井君らと一緒に私の部屋に遊びに来ていた。私の社長就任後、今井君を介して、大学卒業以来の再会を果たした。
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【プロフィル】長島徹
ながしま・とおる 昭和40年、帝人入社。平成12年、取締役、13年6月、常務を経て、同年11月に社長に就任。20年6月から現職。

