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【わが道わが友】キリンホールディングス会長 荒蒔康一郎(3)

2008.7.24 03:36
このニュースのトピックス財界
米アムジェンのバインダー社長(当時)夫妻と(右が荒蒔氏)=平成11年12月、米ニューヨークのエセックスハウス米アムジェンのバインダー社長(当時)夫妻と(右が荒蒔氏)=平成11年12月、米ニューヨークのエセックスハウス

 ■出向や新規事業で経営哲学体得

 私はキリン入社以来、本業のビールとは無縁の生活が長かった。食品事業への出向や、医薬という新規事業の経験を通じて、会社経営をする上での楽しさも、苦しみも味わった。

 昭和53年暮れに小岩井乳業への出向話が持ち上がったのは、小岩井が岩手県に新設した工場で歳暮向け製品の量産を立ち上げたとたんに、不良品が大量に出てしまうという問題が発生したためだ。小岩井のトップからキリンに「技術者を出してほしい」との依頼があり、米国で乳酸菌を学んだ私に白羽の矢が立った。

 翌年1月、小岩井に取締役品質管理部長として出向。不良品問題の原因究明と改善に始まり、品質管理体制の構築から最後は新製品開発まで、さまざまなことを手掛けた。小さな会社だから、会社の全体像が見える。39歳から44歳の時までいたが、会社をどうまとめ上げるか、現場社員の士気をどう上げていくか、といったことをケーススタディーで学ぶことができた。

 61年3月、キリンで医薬プロジェクトに参加することになった。当時、キリンは米医薬品ベンチャーのアムジェンと合弁会社「キリンアムジェン」を設立しており、「英語が分かる技術者」という理由で私が呼ばれた。それから約15年間、医薬事業の道を歩み続けることになる。

 私は当初、キリンアムジェンの事務局的な仕事に携わった。第1号製品の臨床試験が成功するまで、いつ合弁会社がつぶれてもおかしくない状況だった。「開発を続けるべきだ」「無謀。やめるべきだ」と合弁企業の役員間で議論が分かれたほどだ。当時のキリンの役員会で医薬事業について説明しても「医薬はやめた方がいい」という意見があった。もちろんサポートしてくれる声もあった。

 今だから明かせるが、私が当時味わった精神的な動揺は小さくなかった。いくら計画を練っても、黒字化できる案が出てこない。先行投資をしても、成果はすぐには見えない。医薬事業が軌道に乗るまで、針の山の向こうに、いずれお花畑が見えてくると思いながら、とにかく時間を忘れて仕事に没頭した。そのときのスピリッツ(精神)が自分のその後の支えになっている。

 医薬事業を通じて知ったアムジェン創業者のジョージ・ラスマンさんは、すごい男だ。合弁会社の第1号製品が臨床試験に成功し、アムジェンの将来性を確認した時点で、ゴードン・バインダーさんに会社経営を引き継いだ。ラスマンさんに理由を聞くと、「ゼロから立ち上げるプロジェクトが好きなんだ」と語り、その後も次々とベンチャー企業を立ち上げている。彼の名前だけで創業資金が1日で集まるほどの知名度だ。

 アムジェンも今や、世界有数の医薬品会社に成長。社長は3代目になったが、ラスマンさんの教えを守り、キリンとの関係を大事にしてくれている。

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米アムジェンのバインダー社長(当時)夫妻と(右が荒蒔氏)=平成11年12月、米ニューヨークのエセックスハウス
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