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【わが道わが友】りそなホールディングス会長・細谷英二氏(2)
■国鉄改革を通じて自分も成長
私が入社した当時の国鉄はまだ国の補助金も受けず、新幹線が開通したばかりで人気企業だった。19年後、入社した組織が消えてしまうとは夢にも思わなかった。
赤帽をかぶり、昭和43年に三ノ宮駅(神戸市)での実習から国鉄マンとして一歩を踏み出した。キャリア組なので最初から助役発令だったが、私は当時から現場が好きで、先輩には酒を飲んだり、かわいがってもらった。
本社では財務畑で、大蔵省(現財務省)や運輸省(現国土交通省)との折衝に苦労した。経営は悪化の一途をたどり、「国鉄がこのままでは存続できない」との危機感が募るばかりであった。当時の国鉄は労働組合が強くなり、職場規律も乱れていた。56年に土光臨調(第2次臨時行政調査会。土光敏夫元経団連会長が会長を務め、行財政改革を審議した)がスタートしたが、「このままでは切り刻まれる。われわれ自身で再建の方向を決めよう」と立ち上がったのが、「3人組」(井手正敬元JR西日本会長、松田昌士元JR東日本会長、葛西敬之(よしゆき)JR東海会長)と後に呼ばれる若手幹部だった。3人とも上司と部下の関係になったことがあり、酒を飲みながらよく議論をした。
56年の11月。3人組とともに、労使関係にメスを入れて財政問題の方向性を検討してほしいと、当時、自民党の交通部会長だった三塚博先生(元蔵相)に直訴に行った。先生は「よし分かった。国鉄再建のための小委員会を作る」とうなずき、その後、労使問題に対して党を挙げて取り組む活動を始めていただいた。
井手さんは直感力に優れ、とにかく正義感が強い人。松田さんとはJR東日本も含めて長い付き合いになったが、モノ言いが明解で、霞が関の人脈も抜群だった。葛西さんは、文章力は国鉄ではトップクラス。瀬島龍三・伊藤忠商事元会長への説明に同行したときも、「昭和の大参謀」を前に、論理明快に語る姿に感心したものだ。
民営化は避けられないが、分割はあくまで反対の経営陣と意見が対立し、私は60年に大阪の天王寺鉄道管理局に左遷され、3人組も国鉄内で孤立したことがある。それでも3人組に「辞表を出すな。耐えて芽を出せ」と言われ、激励された。3人組に共通する点は、国鉄の常識が世間の非常識と知り、問題意識が高かったこと。3人とも幅広い分野で活躍されたが、閉鎖的な国鉄という組織に収まりきらない人物だったと思う。
労使関係が悪い国鉄でも、いざ事故や災害となると団結した。明治時代から続く「鉄道魂」というか、使命感ある行動力は自分の血となり肉となっている。JRを離れたが、鉄道は企業人としての私のふるさとである。

