ニュース: 経済・IT RSS feed
【わが道わが友】新日本製鉄名誉会長・今井敬氏(2)
■鉄鋼原料調達に世界奔走の日々
鉄鋼業に身を置いたのは、長兄の善衛(元通産事務次官)から「役人になっても食えないぞ」との助言があったからだ。名刺の裏に「よろしく」と書かれた長兄の“紹介状”を手に、まず訪れたのが富士製鉄(現新日本製鉄)で、当時の永野重雄社長に「筆記試験に受かれば通してやる」と言われ、昭和27に入社した。
口頭試験で、「日本の鉄鋼業はコスト高で製品安だ」と持論を展開したのがきっかけだったのだろう、当時原料課長だった田部三郎氏(後の新日鉄副社長)に引っ張られた。当時の主原料であった鉄くずの調達担当を皮切りに、35年間を原料畑で歩んだ。
戦後、ゼロから出発した日本の鉄鋼業は、25年ごろから朝鮮戦争特需などで急成長し、30年には年間生産量が倍増の1000万トン、35年に2000万トン、45年には1億トンと急成長した。そこで最大の問題が資金と原料。資金は銀行がなんとかしてくれるが、原料は自分たちで探すしかない。鉄鉱石の国内自給率は25%程度から、あっという間にほぼゼロとなった。
戦後円借款第1号ともなった、インドとの年間500万トンの長期契約を33年にまとめた。それでも足りず、英国の特恵関税廃止から鉱石の輸出解禁を決めた豪州の調査にも乗り出した。36年の第2次ミッションに同行し、寝袋持参で西豪州の鉱山を約1カ月回った。
今では鉄鉱石の6割を依存するなど、日豪の経済関係の半分を鉄鋼原料が占めている。重要なのは連帯意識だ。ラッド豪首相は中国通といわれるが、先般来日され日本の重要性はしっかり認識している。豪・米同盟関係は揺るがず、日本ともそれに準ずる関係だ。主要大臣も日本側と密接に連絡を取り合っている。
永野氏が38年に立ち上げ、私も新日鉄社長時代から会長を務める日豪経済委員会も、両国の信頼醸成に一役買ってきた。西豪州の開発担当大臣や首相を務めたチャールズ・コート卿は、来日の度に新日鉄首脳が招宴を催すなど、親交の深い一人。私も40年以上の付き合いだ。今秋パースで開催予定の第46回委員会でお会いできるのを楽しみにしていたが、残念なことに、昨秋95歳で他界された。
社長業以上の功績と自負しているのは、ブラジルにある世界最大のカラジャス鉱山開発だ。あれがなければ、日本の鉄鋼業は鉱石のほとんどを豪州に頼る羽目になっていただろう。両国関係の背後には、鉱山大臣なども務めた重鎮、エリゼール・バチスタ氏がいる。彼が国営資源大手リオドセ(現ヴァーレ)社長だった37年、第1次契約締結のために若い弁護士と2人で来日した。向こうは38歳。全権を任された私は係長で32歳。交渉は連日徹夜で、幻聴まで聞こえた。互いに若かったからまとめられたのだろう。5年ほど前にお会いし、日本での再会を約束したままとなっている。

