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【わが道わが友】新日本製鉄名誉会長・今井敬氏(1)
■母校の生徒に維新後の日本を語る
府立一中(現・都立日比谷高校)の同窓会である如蘭(じょらん)会の会長を5年間務め、今春、元大蔵事務次官(現資本市場振興財団理事長)の保田博副会長にバトンタッチした。私はもともと熱心な会員ではなかったが、当時会長で元大蔵事務次官の長岡実氏に「80歳になったから後を継げ」と言われ、「では、私も80歳になったときにやめられるように副会長をつけてくださるなら引き受けます」と条件を付けた。
校長からは「創立130周年記念の今年までは会長を続けてください」と頼まれたが、予定通りに数えで傘寿(さんじゅ)となった今年、会長を退いた。保田氏には「そんな密約は長岡さんから聞いていない」と多少抵抗されたが、晴れてお役ご免となった。ちなみに、保田新会長は、副会長に三菱商事社長の小島順彦(よりひこ)氏を推薦して選ばれた。後任確保の考えは受け継がれたようだ。
会長の大仕事は年に1回。卒業式での祝辞だ。最初の年は3月9日に演壇に立ち、「翌日の10日は何があった日か」と卒業生に質問してみた。ひとつは東京大空襲で10万の無辜(むこ)の民が殺された日。もっとさかのぼれば、日露戦争時、なけなしの国力で奉天(ほうてん)を落とした日。それでもセオドア・ルーズベルト米大統領の仲介を受けられず、結局、5月27日に対馬沖でバルチック艦隊を全滅させて、ようやく仲介を受けた。
明治維新から今日までのことを話したのは、吉田松陰や高杉晋作など幕末の志士は、生徒たちと同年代のころから目的を持ち、あれだけのことをやって30歳を前に死んでいることを認識してほしかったからだ。日本は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で描かれたような苦労も経て、一等国という雲をつかんだ。それなのに、その成功体験におぼれ、軍がおごって権力を持ち暴走してしまった。
日本は維新後40年で興隆して雲をつかみ、そして40年で対米敗戦を迎え、それからまた40年で経済大国として隆起した。では、今はどうなのだろうか。今年の卒業式では生徒に、洞爺湖サミットもあり、アフリカと環境がこれからの2大課題だと話した。産業革命を経て植民地などからの富の略奪で力を付けた西洋諸国。やっと今になり、中国やインドが昔の繁栄を回復すべく努力をし、そこに環境問題が起こっている。植民地主義の放棄でそのまま独立させられたアフリカでは、部族間虐殺が絶えず、先進国が救援の手を差しだそうとしている。大変な問題なのだ。
5年前には校長が「生徒が騒いだら困る」と心配していたが、みんな真面目に聞いてくれた。講演などにあたり私は、自分で原稿を書いて推敲(すいこう)を重ね、それを覚えてしまう。だから生徒の顔を見ながら話したが、居眠りしている人はいなかった。その表情はとてもしっかりしていた。もっとも、大学4年と中学3年の孫に、家でこういう話はあまりしないが。
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【プロフィル】今井敬
いまい・たかし 昭和4年、神奈川県生まれ。東大法卒。27年、富士製鉄(現新日本製鉄)入社。平成5年に社長、10年に会長、15年から現職。10年から14年まで経団連(現日本経団連)会長。

