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【わが道わが友】全日本空輸会長・大橋洋治氏(1)
■卒論研究で2代目社長と出会う
全日本空輸に入社することになったのは、2代目社長だった岡崎嘉平太さんとの出会いがきっかけだ。
昭和37年、慶応義塾大学3年のとき、ゼミの石川忠雄教授(後の塾長)に卒業論文のテーマを問われ、私は「日中貿易にします」と答えた。旧満州生まれで、父親が雑貨を扱う貿易商を営んでいたことも心の中にあったのか、全くのあてずっぽうだが、日中貿易はこれから伸びるとの思いがあった。
しかし、当時は長崎国旗事件(33年5月2日、長崎市内のデパートで開催された中国物産展の会場に男が乱入、中国国旗を足で踏みつけて破損させた事件)による日中交流中断のあとで、貿易はかなり制約されていた。いざ勉強を始めると資料はなく、周りに聞く人もいない。困り果てていると、父親が、同じ岡山県出身で日中貿易を推進している有名な人がいるから「会いに行ったらどうか」と言う。それが岡崎さんだった。
一介の学生の私を岡崎さんは快く受け入れてくれ、いろいろな話を聞かせてくださった。卒論の参考にはならなかったが、自由闊達(かったつ)な全日空の空気にひかれ、ずうずうしくも入社試験の紹介者になってほしいとお願いした。翌年に藤田航空との合併を控えていたことから、岡崎さんは「採ったとしても10人程度だろう」と言っていたが、何とか入社を果たした。
企業人の第一歩を踏み出した調達課では、入社から数カ月で大失敗をやらかした。ある日、ビッカース・バイカウント828型プロペラ機の小さな部品を10個補充してほしいとの要求が来た。当時は、何でも総合商社を介して調達していて、小さな部品については要求書も切らず電話で発注していた。ビッカースを手掛けていた三井物産からの電話に早速、所定の部品を「テン下さい」と伝えた。
ところが、届いたのは何十年分にも相当する部品の山で、仰天した。物産の担当者には「せん」と聞こえたらしい。「テンと言ったじゃないか」と怒っても、相手は「大橋さんは英語なんか、しゃべらないじゃないか」と言い返す。らちがあかず結局、購入してもらったが、案の定、使い切れなかった。
岡崎さんには入社後も、折りにつけ助言をいただいた。
人事労務に所属時、やじが飛び交う労働組合との徹夜の団体交渉にうんざりし、「なかなか分かってもらえない」と不満を愚痴ったことがあった。すると、岡崎さんは「人の話は、聞いたら最後はちゃんとわかるもんだよ。そういうときこそ会社の主張を堂々と言って、わかってもらえばいいんだ」と、繰り返しおっしゃる。そのときは「そんなことあるもんか」と思ったが、後日、岡崎さんがおっしゃった経営姿勢の大切さが身にしみてわかった。
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【プロフィル】大橋洋治
おおはし・ようじ 昭和15年、旧満州生まれ。慶大法卒。39年、全日本空輸入社。平成13年、社長、17年から現職。5月28日付で日本経団連副会長に就任。

