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【わが道わが友】大和証券グループ本社会長 原良也氏(1)
■腕時計に込めた社会人の原点
30年近く使い続けている腕時計がある。昭和55年11月、13年間を過ごした大阪の難波支店から、秘書改革のために東京本社に転勤する際、お客さまがお金を出し合って贈ってくれた記念品だ。つい先日も、このメーカーの社長さんから、「こんなに長く使ってもらっては困りますよ」とからかわれた。シンプルなデザインの電池式だが、社長、会長になっても常に私とともにあり、社会人としての原点である難波支店時代を思い起こさせてくれている。
大学を卒業し、大和証券に入社したのは42年。最初に配属されたのは、西日本最大の支店である大阪の梅田支店だった。その年は八十数人が入社したが、当時の新入社員はみな、全国の大型店に配属され、梅田への配属は5人。私は、大阪府岸和田市の実家から電車で通勤し、駆け出しの証券マンとしての日々を歩み始めた。
最初は、研修を兼ねて営業現場に出されるわけだが、私はどうも、証券会社の新入社員としては、押しの強さに欠けるとみられたようで、何となく上司の受けがよくなかった。同期よりも営業成績が悪いとか、大きなミスをしたわけではないのに、期待されていないような雰囲気を自分でも感じていた。
案の定、3カ月ほどして支店長に呼ばれ、大阪ミナミの難波支店への転勤を命じられた。難波は日本有数の繁華街とはいえ、ビジネス街にあって法人営業部門を持つ梅田支店に比べれば、事実上の都落ちだった。そのときは、人生はうまくいかないな、と思ったけれど、仕事はこうあるべきだというものを体得したのは、まさに難波支店の13年間だった。
飛び込み営業で知り合ったIさんは、生涯忘れられないお客さまの一人だ。大金持ちの繊維問屋のご主人で、高級住宅街にあるご自宅に伺うたびに、商売や人生について、懇々と語っていただいた。
年賀状に、年明けに来るようにとあるので、ついに注文がもらえると意気込んでいくと、孫の誕生祝いとして、割引債を最低購入単位の1万円だけ。がっかりしながらも、ていねいにお礼を述べて帰ったら、1カ月くらいして、今でいえば億単位の大口注文をいただけるようになった。
Iさんは、まだ新人の私を試したのだと思う。Iさんは私に、「若竹のごとく、すくすくと伸び包丁となれ−圭革」という言葉を下さった。圭革は草履の意味だ。商売人は口八丁ではだめで、お客さまと向き合い、商売の厳しさを身につけ、誠心誠意尽くす。仕事の基本は汗をかき、足を運ぶことだ。
Iさんについては、当時の社内報に、「私のお客さん」として紹介させていただいた。その社内報は、今も大切に保存してある。
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【プロフィル】原良也
はら・よしなり 昭和18年、大阪府生まれ。和歌山大卒。42年、大和証券入社。平成9年、社長、11年、持ち株会社制移行に伴い大和証券グループ本社社長を兼務、16年から現職。今月、日本経団連評議員会副議長に就任予定。

