ニュース: 経済・IT RSS feed
【わが道わが友】経済同友会代表幹事(リコー会長)桜井正光氏(4)
■再建果たした社長から8人抜きの指名
最初の欧州赴任を終えて帰国した後、平成4年に資材本部長になり、韓国の関連会社、シンドリコーに出張した。アジアでの資材調達を進め、仕入れ先を海外に転換するのが仕事で、日本の取引先にはかなり厳しい対応をせざるを得なかった。
そんな最中に、当時、リコーの社長だった浜田広さん(現特別顧問)から出張先に電話が入った。てっきり、取引先からのクレームが社長の耳に入ったのかと思って受話器を取ると、「今度の株主総会で君を取締役にする」と予想外の言葉が降ってきた。
私は課長から部次長になるときの昇進試験も「受けたくありません」と拒否したほどで、もともと偉くなりたいという意識がまったくなかった。昇進試験のときは、上司だった紙本治男さん(元副社長)が「部長まではレールに乗っていいんだ」と言うので従った。しかし、取締役は重みがまったく違う。無礼を承知で「どうして私が取締役にならないといけないのですか」と浜田さんに逆質問した。
すると「君は英国工場を世界一の工場にしてくれた。だから取締役になっていいんだ」と言う。確かに、私自身も英国工場を世界一にしてやろうと頑張ったし、胸を張れる工場をつくったという自負もあったから、「違います」とは言えない。結局、取締役に就任し、5年に欧州統括会社のリコー・ヨーロッパの社長としてオランダに赴任、6年には常務になった。
ただ当時、リコーは4年3月期決算で営業損益が赤字となり、在庫の圧縮や製品・事業の見直しなど本業のリストラに追われていた。社長の浜田さんは取締役以上の全役員から「辞職願」を預かり、文字通り進退を賭して経営のスリム化など構造改革を推進。ようやく増益、増収へと成長戦略が実り始めたころ、浜田さんに「桜井君、ちょっと今晩、一緒につきあってよ」と食事に誘われた。8年2月末のことだ。
「君を社長にしたいと思っている」−。浜田さんからそう言われたが、当時は常務の末席の方で、先輩方が8人いた。それでなくとも、常に1人で最終の決断を迫られる社長職なんて、浜田さんの姿を見ていたらやりたいとは思わない。「1週間、考えさせてほしい」と返事を待ってもらったまま、1カ月後の4月1日付で社長に就任した。
3年ほど前に、酒の席で浜田さんに「あのときの返事、まだしていませんよね」と冗談で言ったら、「そもそも返事をする必要なんてない。忘れてたな」と一笑に付された。
私は、社内の会議で役員や責任者に矢継ぎ早に質問し、常に課題の本質を追究すると評されることがある。実は、これは浜田さん譲り。現場・現実を重視して、常に問題の本質を見極める姿勢を教わった。

