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【わが道わが友】資生堂名誉会長・福原義春氏(4)
■体験的「複線人生」のススメ
もう60年以上、洋ランと暮らしている。父の趣味を子供のころから手伝い、温室ごと譲り受けた。十数年前までは、自分で交配もし、それらには「カメガオカ」など、すべて私が暮らす三浦半島の地名を付けている。今も週末は、手入れしては咲いた花を写真に収め過ごしている。
間に立ってくれる人があり、昭和37年に会社近くの診療所の末娘であった家内と所帯を持った。その後、道路公団からの立ち退き要請を受け、東京・上大崎から神奈川・逗子へ、温室とともに引っ越した。新居も落ち着いた矢先、米ニューヨークの販売会社へ社長として赴任を命じられた。といっても社員2人と秘書1人。財務状況は崩壊状態で、オフィスの賃料も従業員の給料も払えず途方に暮れた。昼夜も週末もなく働き、連日の食事はスーパーで一番安い鶏肉とグレープフルーツ。幼い長女は骨にまでしゃぶりついていた。
渡米2年目の元旦、家の電話がなった。リチャードと名乗る男が、年末に受け取った米国ラン協会の会員名簿に、同じ市内の会員として私の名を見つけたのだ。「ランはすべて日本の母に託してきた」と告げると、すぐに数鉢のランを持ってきてくれた。近所にランを通じた友人の環も広がり、すさんだ私の心を癒やしてくれた。今も米国ラン協会誌から彼らの健在ぶりが伝わってくる。
帰国後も週末のラン栽培は続き、私の温室を訪ねた客人も多種多様だ。平成元年にはシュミット元西独首相が来られた。日程の空いた日曜日に、一緒に来日された植物考古学者でもある夫人を喜ばせたいという。鎌倉の大仏見物とセットでお引き受けした。シュミットさんは食事の席で、レーガン元米大統領やジスカールデスタン元仏大統領の物まねを披露し、みんなを大笑いさせてくれた。その後、私の訪欧時には、主賓としてハンブルクのお宅にも招かれた。
作家の木下杢太郎や森鴎外の例を引くまでもなく、多才な人は多い。重要なのは、彼らが決して医者の仕事をないがしろにしなかったことだ。流行語の「ワークライフバランス」が、単に会社の拘束時間を減らすだけだと誤解されてはいまいか。会社の仕事と、自分のための勉強をうまく両立させる「複線人生」が重要なのだ。
パチンコやゲームなどの時間消費的なものに費やす余裕を、読書や創造的な活動に使ってはどうだろう。生きている間中、学んでいるのだというのが私の持論だ。何度かゴルフを始めようとトライしたが、運動音痴も手伝い、好きになれないままだ。ある上級管理職の勉強会で、「よく本をお読みのようだが、どうやって時間をつくるのですか」と質問され、「ゴルフをやらないからです」と答えたら、妙に納得していただけた。

