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【わが道わが友】石油資源開発社長・棚橋祐治氏(4)
■自動車摩擦回避へ業界を説得
私の“貿易摩擦人生”の最後を締めくくったのが、通産事務次官時代の日米自動車・同部品交渉だ。自動車分野には長い自主規制の歴史があり、昭和50年代半ばから完成品の輸出で自主規制が行われ、主要メーカーによる米国での現地生産も始まった。
米国内でつくることで米国の強い不満を緩和するというのは正しい選択だった。ただ、米国内の雇用に貢献しても、米国の自動車部品メーカーにはあまり恩恵がなかった。現地工場の部品調達額に占める米系企業製品の割合は30%ぐらいで、エンジン回りなど主要な部品は日本から輸出していたためだ。
「これで本当の意味での米国製といえるのか」と、米国の不満が高じたのはやむを得なかった。平成4年1月に、当時のブッシュ(父)大統領がビッグ3の首脳と部品メーカーの首脳十数人を引き連れて来日することになった。
宮沢喜一首相(当時)は大変心配され、首脳会談を前に、私に業界との調整を要請された。当時、日本自動車工業会の会長はトヨタ自動車の豊田章一郎社長(現名誉会長)。米国は米国製部品の調達率を60%ぐらいにするよう求めていたが、業界の反発は強く、米国製部品は日本の規格に合わない、不良品が多いなどと難色を示した。
私は苦慮し、3年の暮れから4年の正月にかけて、豊田さんにいろいろとお願いした。その結果、各社が3カ年で60%ぐらいに持っていく計画をまとめた。これには、ブッシュ大統領も満足し、宮沢首相も「よかった」と安堵(あんど)された。
それから半年後のこと。あるパーティーで豊田さんにお会いすると、「棚橋さん、やってみるもんですね」と切りだされた。聞くと、トヨタは米国でキャラバン隊を組織して、車軸メーカーなど有力部品企業を片っ端から訪ねたそうだ。そのなかで何社かが、品質もコストもトヨタの要求に応えられることが分かったという。
トヨタという会社は役所の主張に対し、反対するところは反対するが、いったん引き受けると徹底して実行する。そのときも、ここまでやるものかと思った。今、日米の自動車業界の間に問題がほとんどなくなったのは、日本のそうした努力が米国の部品メーカーを育てているからだと思う。しかし、自動車産業はアメリカンドリームの象徴だ。GMやフォードが深刻な経営危機に陥れば、米国の世論も政府も放ってはおかないだろう。
ものづくりで負けた米国は、IT(情報技術)の基礎技術と遺伝子などバイオの先端技術で世界一の座を守ろうとしている。一方の日本は、まだものづくりで生きられる。最近は中国に相当追い上げられているが、米国の轍(てつ)を踏まないことを肝に銘じて取り組むべきだろう。

