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【わが道わが友】西日本高速道路会長 石田孝氏(1)

2008.3.25 03:29
秘書役として、亀高素吉・神戸製鋼所社長(左)(当時)に随行=昭和62年、シンガポールのシャングリラホテル秘書役として、亀高素吉・神戸製鋼所社長(左)(当時)に随行=昭和62年、シンガポールのシャングリラホテル

 ■背中で教えてくれた国際感覚

 元神戸製鋼所社長の亀高素吉(かめたか・そきち)さんと出会ったのは、亀高さんが原料部長時代。「ウチの会社には格好いいオッサンがおるんやなあ」というのが第一印象だった。

 身長180センチ。彫りの深い顔立ちで、体形はプロレスラーのよう。亀高さんが米ユナイテッド・テクノロジーズ社を訪問したとき、私も随行したが、同社の顧問でNATO(北大西洋条約機構)の元総司令官だったアレクサンダー・ヘイグさんが「アー・ユー・レスラー?」と尋ねたほどだ。亀高さんは持ち前のユーモアで「アー・ユー・ジャパニーズレスラー(相撲取り)?」と切り返していたが。

 私は神戸製鋼で、高橋孝吉さん、牧冬彦さん、それに亀高さんと3人の社長の秘書役を計6年務めたが、いい経験になった。牧さんは鉄鋼大不況のときで、「会社が打撃を受けたら、社員全体が共同で負担し、もうかれば共同の受益者になる」という考え方を貫いた。その考え方は私にも強く刷り込まれた。

 後を継いだ亀高さんは、攻めの経営に強かった。日米英の研究所をネットワーク化して24時間態勢で研究する計画を打ち出すなど、常にグローバルな発想をしていた。

 その国際感覚は堪能な語学にも表れていた。正式の会議には通訳をつけたが、事前交渉などは1人で臨んだ。海外でのスピーチは常に英語で、日本語を使わずに現地に溶け込むことの大切さを、身をもって教えてくれた。

 私は実は何より英語が苦手なのだが、その教えを実行している。英語圏以外では、スピーチの最後に「スパシーバ(ありがとう)」などと、現地語のあいさつをするだけでも喜ばれる。語学の巧拙にかかわらず、現地に同化しようという気迫がなければ、外国人の中には入れない。それを背中で教えてくれた亀高さんが社長になったからこそ、「関西の神戸製鋼」は「世界の神戸製鋼」へと脱皮した。

 ラグビーに注力したのも亀高さんだ。1部と2部リーグのはざまにいたチームが、全日本で優勝するまでになった。7連覇を達成したのは、忘れもしない平成7年1月15日。亀高さんが胴上げされたその2日後、阪神淡路大震災が起きた。亀高さんの至福の時はわずか1日余りで、すぐさま神戸製鉄所の立て直しに尽力された。

 引退されて十数年になるが、薬学を究めたいと80歳を過ぎてから北里大学の研究生になった。「ぼけなくていいじゃないですか」とちゃかすと、「ぼけないためじゃない。勉強は永遠だ」とおっしゃる。人生をエンジョイしておられるその姿勢に、私はあこがれる。

                   ◇

【プロフィル】石田孝

 いしだ・たかし 昭和18年、福岡県生まれ。京都大学経済学部卒業後の41年、神戸製鋼所に入社。常務取締役、専務執行役員を経て、平成14年、コベルコ建機社長。16年、同会長兼コベルコクレーン社長。17年10月から西日本高速道路会長CEO。

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