MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

ニュース: 経済・IT 金融・財政産業・ビジネスIT写真RSS feed

【わが道わが友】日本商工会議所会頭(東芝会長)岡村正氏(1)

2008.3.11 03:12
このニュースのトピックスメディア倫理
父を囲んでの家族写真。当時、戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京父を囲んでの家族写真。当時、戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京

 ■37年ぶりに再会、以来親交深く

 国家総動員法が施行され、世の中も騒然としていた昭和13年、東京・中野区で職業軍人だった父、誠之の次男として生まれた。父は私が5歳のころに蒙古に出征したので、幼いころの父の記憶はほとんどない。戦争が始まって、静岡や父方の実家のある和歌山などに疎開し、都合5回も転校した。疎開や空襲、敗戦といろいろな意味で不安定な時代を過ごした。

 父が帰ってくるとの知らせを受けたのは終戦翌年の昭和21年春。「アスカエル」と書かれた電報に一家で喜びにわいて出迎えたが、舞鶴港で父と再会したが、抱き上げられたときのどこか落ち着かない感じは今も覚えている。

 23年に家族で東京に移り住んだが、父は公職追放の措置を受けており、病気がちの体をおして、ガリ版の行商をやりながら家族を養った。追放解除になった後も、孫子の研究に没頭し、若い人たちと議論を重ねた。戦争責任を父は、深刻に考えていたのだと思う。

 家計を助けるため、母も働きに出ていたが、不思議と子供には何でもやりたいことをやらせてもらった。父母の苦労は並大抵ではなかったと思うが、その苦労を見せなかった両親には今も感謝している。

 その後、学芸大付属大泉中学から都立戸山高校に進んだ。当時は都立校全盛といわれた時代だが、もともと勉強に対しては非常に厳しい学校で、朝の7時半から数学や英語の講義がある。先生方も実に熱心で、そういう雰囲気に後押しされてか、私自身も勉強に打ち込んだ。悪く言えば受験戦争のはしりだったのかもしれないが、日本がちょうど成長する昭和29年から32年にかけての時代で、私自身も勉強すれば将来大きな仕事ができる、という思いもあった。

 戸山高校の同期で今でも付き合いがあるのが、NTTデータ相談役の青木利晴さん。だけど、高校時代は特に親しかった、という記憶はない。彼とはクラスや学部は違うものの高校−東京大学と同じ学校だった。大学卒業後は電電公社(現・NTT)に入社して、優秀な技術者だというのは人づてに知っていたが、プライベートでの付き合いは、実はほとんどなかった。

 ところが8年ほど前、彼がNTTデータの社長になったときに、仕事の関係で再会した。大学卒業から考えれば37年ぶりくらいだ。お互い、「高校も一緒だったよな」という感じで急に親交が深くなった。

 今でも年に何度か顔を合わせては、いろいろと意見交換をしている。いわゆる旧友とは違うが、こういう付き合いも良いものだと思っている。

                 ◇

【プロフィル】岡村正

 おかむら・ただし 東京大学法学部卒業。昭和37年、東芝に入社。常務、上席常務執行役員を経て平成12年に社長、17年から会長。17年、日本経団連副会長を務め、19年7月、東京商工会議所副会頭に就任。同年11月から日本商工会議所会頭。

このニュースの写真

父を囲んでの家族写真。当時、戸山高校3年だった岡村氏(右端)は軟式テニスと学業にいそしむ日々だった=昭和32年、東京
PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。